立て直せ、人生。

人生行き当たりばったりなアラサーが、無事にアラフィフになれるように頑張らないブログ

就活とぼく 2011

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毎年この時期になると、思い出すことがある。それは、就活のことだ。

シューカツ、エントリー。日々のんびりと過ごしていたぼくの前に突然現れたこのカタカナ言葉は、大震災に引き続いてぼくから日常を奪っていった。
くたくたの服を着て、安いうどんをすすっていた生活から一変し、上下で一万数千円もする服を着込み、往復数千円もかけて東京に通った。

友人とともに合同説明会とやらに行くと、入場するのに2時間か3時間か、数キロの長蛇の列に並ばされた。やっと会場に入れた、と思ったら、説明はパンフレットに書いてあるようなことを並び立てるだけ、投げかけられる質問も聞かなくてもわかることばかり。しびれを切らして質問をしてみると、受け答えしていた若手社員の表情が固まり、血相を変えた中堅社員が飛び出してきた。ほかのシューカツ生には、白い目で見られた。
いづらくなってそこを出た。友人には、学会じゃねーんだから、と窘められた。

ぼくは、就活の楽しみをラーメンに求めた。どこか行くたびにちかくの有名店を探し、暖簾をくぐった。交通費もあわせると、なかなか痛い出費あったが、そうでもしないとやってられなかった。

あるとき、大手企業の最終面接まで行った。ぼくだけ別室に呼ばれ、受け答えも完璧にこなした。ほとんど受かった気になって、帰りがけのラーメン屋で、特盛とビールを頼んだ。夕方6時のラーメン屋は、サラリーマンたちがビールを片手に楽しそうに酒を飲み交わしていた。

結局、その企業には落ちた。理由はわからない。その企業に入らなくてよかった、と自分に言い聞かせるために、企業の掲示板や口コミサイトの悪い噂ばかり見てまわった。
そののち、小さな企業に入ることになる。

振り返って、就活は辛かった、などという話をすると、みな20社30社を平気で受けている。ぼくは5社だった。「ぜんぜん辛くないじゃん」と言われることもあるのだけれど、ぼくにとっては、5年経っても忘れることのできないことだ。
でも、確かに、30社40社受けていてこのような思いをし続けているのだとしたら、それは信じられないほど酷いことだ。そして周りの親世代の人間は言う。仕事を選ばなければなんだってある、と。その背中のテレビでは、ブラック企業での過労死のニュースが流れる。ぼくらは生活を人質に取られて、追い詰められる。就活の期間は限られている。前に進んでいるのか分からないままに自己分析企業分析を続ける。
そして企業から理由もわからず祈られ続ける。

それは、精神的な暴力に等しい。

ぼくは祈る、こんな馬鹿げた「シューカツイベント」がなくなることを。ぼくは憎む、自己責任論に落とし込んで、悲鳴を上げられずにいる人たちを見て見ぬ振りしている人間たちを。

きっと今日も、シューカツサイトは煽るのだろう。「あなたはいまxx社のエントリー!平均xx社!」もう少しずつだけ、優しい世界を作れたら良い、とオトナになってしまったぼくは思う。