立て直せ、人生。

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実家で甘えたかった

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大学生で一人暮らしを始めてから10年になる。

大学受験なんて何も考えていなかったから、何となく受けた大学がそういえば関東で、大学の合格を知って、一人暮らしをしなければならない事実に、現実味を感じることができなかった。

はじめての一人暮らしは、大学の宿舎で、一月一万円程度であった。お得なように思えるが、土足の部屋で、風呂はない。あるのは、教員が使うような机と、さびた鉄パイプから成る古くさいベッドだ。マットレスは、湿って弾力が無かった。引っ越しの手伝いに来た母は後に言った。
「むごいところに置き去りにするな、って思ったけど、午後からのディズニーランドのパレード見たかったし」

共用のコンロはあったが、洗濯機の真横、背中には共用のトイレ。においが風に乗って漂ってくる衛生的な環境であった。どちらにせよ、料理はまともにできなかった僕は、近くの学食に頼った。しかし、アルバイトもせず奨学金も貰っていない僕には、一食400円程度という額が重かった。そうして、やがて、カップ麺だけの生活となる。

カップ麺は偉大だ。お湯を注いで3分で食い物ができる。公衆便所のにおい漂う台所で料理するよりも衛生的だし、何より安い。安売りのものであれば、3食食べても200円程度で済む。僕は毎日のようにカップ麺をすすった。ある日、講義に出ると友人がしかめ面をして僕に言った。「君は、カップ麺とカビの匂いがする」

三食カップ麺の夢の生活は、すぐに破れた。僕は体中に謎の発疹が出て、寝込んだ。肌の調子がとにかく悪く、体中痒くて日光に当たることができなかった。一週間ほど引きこもり、実家にいた頃に病院で貰っていた、酷い肌荒れ時の用のステロイド薬を塗ったら、徐々に引いた。それでも、一週間は外に出ることが叶わなかった。
見かねた友人が、僕に料理を作ってくれるようになり、それ以来10年付き合いは続いている。

宿舎から引っ越した後は、隣の部屋に友人が越し、上の階に友人が越し、あるいは歩いて数分の所に後輩が住んでいた。電話をすれば、皆がやってくる。寂しさというのを余り覚えたことがなかった。卒業の間際、何故だか胸が苦しくなる日が多くなり、毎日のように自分の部屋で宴会を開いた。それでも、少しずつモノが減っていく部屋が寂しくて、途中で引っ越し準備が手につかなくなった。

引っ越し前日のさよなら会で飲み過ぎ、引っ越し当日に二日酔いで動けなくなった僕を、「年上の後輩」が見かねて引っ越し手伝いにきてくれた。「僕が来なかったらどうするつもりだったんですか」という苦笑いの言葉に、僕はおええ、と嗚咽で応えた。

そして就職。僕は始めてそのとき「一人暮らし」を始めたような気がする。壁をノックしても「呼んだ?」と部屋にやってくる友人は居なかったし、皆で集まって食べる調整が、20分から2週間へと延びた。部屋に帰ると、空気清浄機が「においセンサー」で動き出す。それが、少し嬉しく感じてしまった。寂しさに耐えかねて、大学生活の間買うことのなかったテレビを買った。無駄に大きなモデルで奮発して買ったが、週に1、2時間点いていれば良い方だ。

卒業旅行、という名のドライブの最中、友人が言った。
「僕らは、結局一人暮らしをしたことがないんだ。あの学生街は、僕たちの第二の故郷で実家みたいなもんだよ」
その言葉に、僕は何も応えられなかった。

10年経った今、世間を知ったとは言えない。結婚式の返答の書き方は知らないし、封筒のとじ方すら知らない。振り返って、母や友人に問うてどうにかすることは出来なくなったが、今ではインターネットがあり、スマートフォンという光る板を撫でるだけで答えが出てくる。
1人でも生きることは可能だ。けれど、1人で送るような人生は、本当に生きるだけの価値がある人生なのだろうか?

今日、友人と会い、酒を飲んだ。東京のバーで、そこそこ値が張った。友人が言った。お前飲み過ぎて、稼ぎ全部つぎ込んでいるだろう?と。君や、他のヤツらと過ごす貴重な時間なんだから、これくらいは大した額じゃないよ、と笑って応えた。

実家や故郷に、甘えたかった。けれど、僕はそれが叶わなかった。
一人暮らしをした方がよいと言う人は多いけれど、甘えられるなら、甘えた方が良いのでは、と僕は思ったりもする。寂しさはきっと、人を殺すから。

元ネタ……?

以下のエントリ読んで言及記事書くつもりが、エッセイになってしもうた。

まだ実家で甘えてるの? - 散るろぐ