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立て直せ、人生。

人生行き当たりばったりなアラサーが、無事にアラフィフになれるように頑張らないブログ

読まない本にも意味はある

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本、というものはやっかいな代物で、何も考えずにいると勝手にそこいら中に生えてくる。いわゆる積ん読、と呼ばれるものだが、症状がすすむとタワーを形成するという性質を持つ。

「読まないのならば買わない」という当たり前の行動が取れないのか、という旨のことを言われたことがあったが、正論は所詮正論止まりだ。

ただ、読まない本にだって、意味があるんだって、僕は思う。

本というのは、出会いだ。読むべき本、そして読むべきタイミングがある。それらがぴったりと合わさったとき、僕らは本の世界に没入する。現実世界では出会うことのない、様々な経験がそこには待っている。 そういう体験をするには、本を日常的に読むことで試行回数を増やすことが一番の近道だ。 でも、だからといって義務的に本を読むというのは、まったくもって楽しくない。そういう時に限って、上記のような体験などはなかなか得られない。

本に呼ばれた、そんな気がするタイミングがある。ふと、本棚をみたとき、自分でも買ったことをすっかり忘れていた本が出てくる。表紙をみて、タイトルをみて、気になって手に取ると、買った直後には数ページ読んで「積ん読」してしまった物語が、読み出して欲しそうにそこに拡がっている。本棚は、物語を抱えた宇宙だ。

そして、本棚はタイムマシンでもある。自分の本棚の前に立つ。眺める。本を手に取る。どうしてそのとき、読まなかったのか、読めなかったのか。あのころの記憶が呼び起こされる。本棚のラインナップは僕の気持ちの揺れ動いた軌跡で、過去の自分を思い起こす。ふと手に取るのは、過去の僕からのメッセージで、今の僕が受け取り、それを読み解く。

本棚は、僕好みの僕専用の図書館で、出会いがあり、可能性そのもので、僕の気持ちの歴史だ。

そんな風に言い訳をしながら、僕はまた読むあてのない本を買う。「本は勝手に生えてくるけど、本棚は勝手に生えてこないからなあ」などとぼやきながら。