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立て直せ、人生。

人生行き当たりばったりなアラサーが、無事にアラフィフになれるように頑張らないブログ

地元の田舎で窒息するよりも、東京で消耗する方がマシだ。

じぶんのこと

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関東に出て東京に就職したぼくだけれど、時折実家にもどると旧友たちに会う。20代後半ともなれば結婚している人もいるし、だれそれが引っ越したなどという話も聞く。

地元は物価が安いし、街へ出るのにも不便しない。話を聞くと、実家から通い、お金を貯め、結婚したなどという幸せそうな話を聞く。その一方、ぼくは関東に一人切り離され、後ろ盾なく、不安定な生活を送っているかのような気分になる。

それでも、ぼくは実家に帰りたいと思えないし、多分帰らないだろうとも思う。

名古屋にほど近いベッドタウンで生まれたぼくは、公立の小中高と経て関東の大学に出た。進学校であったので、東海圏以外の大学に行く人が多かったけれど、それでも地元志向がつよい。地元の典型的エリートコースは、名古屋大学名古屋工業大学にいき、トヨタ系列の会社に正社員としてはいることだった。

ぼくは高校で落ちぶれて、成績はひどい有様だったけれど、運良く関東の公立大学に受かり、地元を出た。家族も親戚も、浪人して地元の大学に入るものだと思い込んでいたようで、てんやわんやしたことを覚えている。

大学は宿舎があり、全国から人々が集まっていた。そしていろんな話を聞きいろんな人々と触れ、忘れられない大学生活となる。

大学生活が長くなるにつれて、地元への違和感を覚えるようになった。画一的な価値で、地元志向で、話題はだれそれが結婚した、転職した、車を買い替えた。あとはテレビの話題だ。ぼくは次第に、安心感よりもうんざりとした気分が勝るようになる。だから、ぼくは東京に就職した。家族には、IT系の仕事は東京以外には少ないからと説明した。3割くらいは本当のことだったけれど、7割の本音は隠した。

もともと、田舎は好きだ。ドライブでも田舎に好んで行く。たとえば地方都市だというのに、20時には商店街も真っ暗で、スナックやバーくらいしかやっておらず、住宅街には灯りが広がるところ。あまりにもゆっくり時間が流れていて、東京とは別世界にあるのじゃないだろうかと感じることすらある。

それでも、端々に息苦しさを感じることがある。少ない話題に、少ない娯楽。ここより遥かに栄えているぼくの地元ですら、相互監視されているような、世界の狭さを感じるというのに、ここはどれほど息がつまるのだろうかと考えてしまう。長男は実家を継ぐものなのだろうか?弟は兄より先に結婚してはいけないと言われるのだろうか?東京で消耗する人がいるのと同じくらい、きっと田舎で窒息している人がいる。

東京は懐が広い。人が集中しているぶん、コミュニティも多い。そして、お互いに無関心だ。一方田舎では、些細な間違いがついてまわり、やり直しが利かない。変わり者や、失敗を恐れないチャレンジャーほど、東京ほど居心地が良い場所はない。変わり者は適所に配され、チャレンジャーは失敗を恐れる必要はなく、いつしか成功する。

もしかしたら、もうぼくの居場所なんて地元にないのかもしれない。ぼくのいない間に流れた10年はあまりに大きく、コミュニティのコンテキストが解釈できない。東京以上に、地元に戻ることの方が疎外感を感じてしまう。

京都に出て、地元に戻った友人の言葉が忘れられない。「地元なのに、友達がいない」。明るいマスコットキャラ的な友人の表情に影が落ちたその瞬間を、ぼくは忘れられない。その半年後、友人は電撃結婚した。今はもう、寂しくはないのだろうか?

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