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立て直せ、人生。

人生行き当たりばったりなアラサーが、無事にアラフィフになれるように頑張らないブログ

屋台の引力に惹かれて

食べもの じぶんのこと

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ある寒い日の仕事上がり、久しぶりに早く上がって飲みに行った。その帰りみち、赤い光がぼくを呼び寄せた。それは屋台だった。

ビルが林立する都会のなか、小さく埋もれるようにぽつねんとひとつ。けれど、その赤い光は、周りの光に負けないくらい、優しく輝いていた。

子供のころから退廃的なものが好きだ。廃墟だったりシャッター街だったり。そんなぼくのカテゴライズの中に、なぜだか屋台が分類されている。

駅前に屋台街があったころ、ぼくはまだ二桁歳に満たなかった。屋台街、といっても、ほんの数軒だけであり、新規の屋台はできないのだときいた。今ある屋台は、昔からやっている人たちだけであり、特別に営業の許可が下りているという。近い将来、なくなってしまうだろうとも。

ぼくはその話を聞いてショックを受けた。これほど素晴らしい技術が詰まったものが、なぜ廃れてしまうのかと。ぼくにとっては屋台は魔法だった。母がたくさんの機器と器具とで作っている料理を、あれほど小さな環境で実現しているのだ。それに加えて客席もある。そんな世界を消してしまうだなんて。

ぼくは母にねだった。屋台に連れて行って欲しい、と。けれど、母は困った顔をして、大きくなってお酒が飲めるようになったらね、と諭した。けれど、その約束が果たされることはなかった。数年も経たないうちに、屋台は営業していることが減り、気付くと全ての屋台には毒々しいほどに青いビニールがかけられていた。優しい赤い提灯の火は、消えてしまった。

それから十数年して、ぼくは再び魔法と出会う。摩天楼のなか、ひとつ。ぼくは自然歩み寄り、暖簾をくぐっていた。

注文してお金を渡す。店主の動きは無駄なく洗練されていた。年季の入った小さな木箱から麺を取り出し、煮立った鍋に放り込む。碗は湯にくぐらせて軽くあたため、タレと湯でスープを作る。茹で上がった麺を載せてあらじめ刻まれたネギ、たまごを載せてぼくの前へ。

率直に言って、さほど美味ではない。たまごには味が染みていないし、スープもさっぱりしすぎだ。けれど、なぜだか食が進んだ。ビルに囲まれ、外は雪が降るか降らないか。人々が早足で家路を急ぐのを背中で聞き届けながら、ぼくはラーメンを食べていた。暖簾一枚隔てた別世界。それはこれまでにない経験で、新鮮で、ぼくの子供のころの思い描いた屋台での食事そのものだった。ぼくは魔法にかかっていた。

たぶん、昔は日常風景だっただろう屋台。それが、現代に現れると途端浮き上がるようにしてその存在を主張する。日常のなかの些細な非日常。屋台はほんの少しだけ異世界を見せてくれる魔法の場所だ。

店を出ると、いつもの世界に戻ってきた。人々は俯き加減で足早に駅へと向かい、その服装は暗い色のコートばかり、世界が精彩に欠けていた。ぼくもその波に乗り、家路を急ぐ。その道すがら、息を吐いた。思ったよりも息は白く、しばらくそこに留まった。それはまだ屋台の魔法が残っている証拠のようで、少し嬉しかった。