立て直せ、人生。

人生行き当たりばったりなアラサーが、無事にアラフィフになれるように頑張らないブログ

ぼくは三菱自動車が好きだった

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子供の頃から三菱自動車のデザインが好きだった。いかついデザイン、パワフルなイメージ、頑強なボディ。

見たことなかったけれど、母が「パリダカで三菱は強かったからね」と言っていたのを未だ覚えている。

実家の近所に、三菱自動車のエボに乗っていた人がいた。大きな羽、真っ白のボディ。エボIVのシャープなデザインは、ぼくの男の子心をくすぐった。毎週のように、そのお父さんが車を洗っていた。 ぼくが小学二年生の頃、団地に越してきて、大学進学で家を出るまでの11年間、白いエボが汚れているところを見たことがない。

ぼくの母はVTECの音が良いんだと、ホンダ贔屓だった。けれど、親戚の家では三菱車が多かった。GDIエンジン搭載の車は不調だったり、従兄弟が買ったGTOは金食い虫だったりと、あまり評判はよろしなかった。でも、どうしてかオーナーは笑顔で、相棒のように接していた。GTOは軽快に吹き上がって走り抜け、シャリオは沢山の人荷物と思い出を運んだ。

あるとき、母の車を買い替えることになった。ぼくは、三菱車のギャランを推した。丸みを帯びて没個性的になる他のメーカーの車たちと比較して、シャープで精悍な印象だったからだ。けれどそれは却下される。母の好みにギャランは合わなかったし、なによりリコール問題で騒がれた後だったからだ。「大切なあなたたちを乗せるから、きちんと選ばなきゃね」と言われ、ぼくは悔しくて何も言えなかった。

リコール問題後の三菱車2000年代を、ぼくは黒歴史だとは思わない。いくつもの名車が生まれた。ランエボは中二病心をくすぐるシャープで未来的なデザインだったし、コルトは野暮ったさが無く、どことなくヨーロピアンな雰囲気を感じる。より、ぼく好みのメーカーとなった。

今では販売網は減ってしまったけれど、きっとまた野心的で暴力的なメカを作ってくれる。そう信じていた。エボが終売しても、ラインナップが減っても、きっと立ち直るって信じてた。

ぼくは社会人になって、ターボのマニュアル車を買った。三菱のコルトだ。7年落ちで10万キロ超え。そこかしこでガタはきているけど、ボディの剛性は強く、ゲドラグ製のミッションは心地よく、エンジンは驚くほど力強い。ぼくは、子供の頃の憧れを思い出し、いつかエボが出たとき、きっと新車で買おうと思ってた。

だから、今回の事件は、本当に悲しかった。速報を聞いたとき、何かの間違いであってほしいと思った。そして会見で決定的になったとき、ぼくは裏切られたような気分になった。

ぼくは思う。しばらくはぼくも三菱自動車が信じられないだろうと。 でもやっぱり、ぼくの子供の頃の思い出は、どうしたって三菱車にあった。だから、嫌いになんてなれない。

車は、人生の多くの時間を共にする家族で、ディーラーはそんな家族をみてもらう大切な場だ。どうしたって、メーカーそのものに思い入れができる。

短くないときを、少なくない思い出を積み重ねてきたあいつの生みの親が、家族が、また立ち直ってくれることをぼくは祈る。