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泣きそうになった『映画クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃』のレビュー・感想 [ネタバレ有]

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「映画クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃」を観た。 ちびっ子達が多く、少し騒がしい劇場だったけれど、だから良かった。多分、静かな劇場だったら、ぼくは涙を堪えきれなかったから。

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春日部にやってきた謎の少女「サキ」。心を閉ざした彼女が、しんのすけたちとふれ合い友情を育む物語。 そして、そんなサキに向ける愛情の表現について今一度サキの父親に問うのはら夫婦、オトナ達のお話。

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オトナとコドモ、両側から紡ぎ上げたストーリーで作品のストーリーを紡ぎ上げている本作品は、傑作だ。

はっきり言って、本筋のストーリーは重い。それは、「オトナ帝国の逆襲」や「戦国大合戦」以上だ。しかし、物語は愛・友情で優しく包まている。そしてテンポ良く差し込まれるギャグは、雰囲気が重くなりすぎないように気配りが行き届いている。子供向けには重たすぎると感じるけれど、名作に違いない。

そして、事実としてこの作品は容赦なくぼくを抉ってくれた。子供向けのアニメは、まわりくどいメッセージがなくて直球で、だからこそ鋭利でキレ味がよい。ざっくりと刺し殺しに来てくれた。

途中からネタバレがありますので、お気を付け下さい(見出しに明記)

家族愛だけに偏らない、かすかべ防衛隊の活躍

クレしん映画というと、家族愛に偏ってしまいがちだった。たぶん親と子が一緒に観に行って両者を楽しませるためには、それが一番だからだろう。

けれど今作は違う。かすかべ防衛隊も野原一家も、みんな活躍する。しんのすけはかっこいい。ネネちゃんも人情深い。はじめ、なかなか心を開かない、開くことができないサキが、彼らと触れ合うことで心を許していくその様子は、子供のいないぼくでもこみ上げてくるものがあった。

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親から子に向ける想い、子が親に抱く想い。それが思った通りに伝わるとは限らないし、うまく噛み合うとは限らない。

のはら夫婦は、親と子の向き合い方を親に問う。かすかべ防衛隊は、子供だからこそ作れる関係で少女「サキ」を支え、サキは一歩踏み出すのだ。

以下ネタバレゾーン

あらすじ

娘を庇ってなくなったサキの母親。サキの両親は「夢」についての研究者で、実験中に事故が起きてしまったのだ。サキは、母が自分を恨んでいると考え、悪夢を見るようになる。その悪夢は、悪霊のようになった母が自分を襲いにくるものだ。心身共に衰弱するサキ。

サキの父は、サキの悪夢の世界のなかに「ユメミ—ワールド」と呼ばれる安全な世界を作り上げ、街の人々を取り込んだ。その世界に取り込まれた人々は、皆好きな夢を見ることができる。一見、素晴らしい世界のようにみえるが、ユメミ—ワールドの本当の目的は、皆が観る夢を吸い取って、ユメミーワールドを支え、サキを悪夢から守ることであった。

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夢を吸い取られた人はどうなるか。世界の外へと排出される。つまり、悪夢だ。初めから「夢」の総量が少ない大人達は悪夢の世界に追い出され、夢を吸い取られ尽くした子供も外に追い出され、悪夢を見るようになり、人々は混乱する。そうして、サキの父とサキは、街から夢を吸い尽くしたら、次の街へと向かうのだ。

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だから、サキは関係を作らない。心を開くことが出来ないのだ。そんなサキに対してしんのすけたちは、触れ合う。そして、徐々にサキは心を開く。「夢でも現実でも、友達ができなかったら意味が無いじゃない!」そんな彼女の慟哭は、彼女を想ってユメミ—ワールドを作った父親に深く突き刺さる。

本作品の「ズルさ」

ぼくがこの作品が重たいと言ったのは、母親の死が中心のストーリーとなっていることだ。親の死をきっかけにすれ違う親と子。生きていたってすれ違うのに、死んでしまったら、なおさらだ。「自分が悪かった、ごめんなさい」「そんなことないよ」。たったそれだけのやりとりが、死んでしまったらできない。

だから、そんな大きな力をもつ設定は、子供向けとしてはあまりに重たく、ズルいとすら感じたのだ。 けれど。それでもぼくはこの作品を評価する。なぜならば、きちんと重たい設定の中で物語を描ききったからだ。そして、一方だけでない、親子双方に向けて確固としたメッセージを込めているからだ。その作りは立体的で、美しい。

サキの成長と本当の悪夢

サキは2度殻を破る。父の言うとおりに、誰とも交わらないサキ。それは、夢を吸い取る相手と交友を深めたら苦しいだろうという父の思いやりだ。サキは言いつけ通りに誰とも交わらない。しかし、それは親に対しても友達(他人)に対しても、自分の想いを表明しないということだ。サキはまずその殻を破る。「しんちゃん私を助けて」。 自分の意思で、殻を破り、ユメミーワールドからも脱する。母が教えてくれた、自分の悪夢を食べてくれるという「バク」を探しに出るのだ。

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しかし、一方で悪夢はサキの母親として登場する。そんな母親を、バクは悪夢として食べてくれるのだろうか?物語の終盤で、悪夢はその本性を現す。悪夢は、幼い頃のサキそのものだったのだ。それはきっと、「母の死」という、サキが乗り越えるべきものとしての象徴だ。それに対して、みさえは優しくサキに諭す。

「子を恨む親が、どこにいるもんですか」。

そして、サキは悪夢と対峙し、乗り越える。「私は、消えちゃうの?」サキの悪夢は不安そうに尋ねる。サキは応える。「消えないよ、私のなかに居るから」。それは、またもう一つの殻を破った証拠だ。

嫌な思い出だって考えだって、確かに自分の一部なのだ。悪夢だってサキの一部に他ならない。忘れて見ない振りをすることなんて、できやしない。だから、「悪夢」呼ばわりして逃げるのではなく、きちんと向き合うことが、サキには必要だったのだ。

サキの父とのはら夫婦

サキの親もまた、成長をする。人々から夢を吸い取ることをひろし達に非難され、「これしか娘を守る手段がないのだ!」と、サキの父は叫ぶ。

どちらも正しい。それしか採る手段がなければ、周りの人間を巻き込んだって娘を守るのが親としては正しい。けれど、それは本当に唯一の解なのだろうか?のはら夫婦は、そうじゃないと見抜いたのだ。それは「のはら夫婦」だからというご都合主義なのだろうか?ぼくは違うと考える。

妻を亡くし、娘も命を脅かされる状況で、少なくとも娘の命を現状維持を出来る技術があれば、それを必死で推し進めるのが親というものだ。けれど、それは本当に唯一無二の方法なのだろうか。代替療法などに縋ってしまう末期がん患者を想起してしまう。そういう状況では、得てして一歩引いて冷静に状況を見られる第三者の方が、状況を見抜くことができるのだ。

そして、サキの父も娘の言葉で気づく。「私は、現実世界もサキから奪ってしまっていたのか」。その瞬間、サキの父も親として成長したのだ。いくらインテリだって、一人で窮地に立たされれば冷静になんていられない。それまで人を避けていたサキとサキの父は、同じ結論に達するのだ。「周りに助けを求めていいんだ」と。

そこに、ぼくは昨今の家庭事情を踏まえた、強いメッセージ性を感じる。

本作品の主人公は誰か

ぼくは、この作品においては主人公はサキと、サキの父親だと考える。その点において、この作品はこれまで作品と異なっている。

これまでは、物語を通じて成長していたのは、しんのすけだったりかすかべ防衛隊の面々だったり、のはら家族だったりした。だから、彼らが主人公だった。 けれど、この作品で成長するのは、サキとサキの父親だ。いつものメンバーが出てきて活躍はするけれど、物語の中心はサキ親子なのだ。レギュラーメンバーは触媒に過ぎない*1

けれど、ぼくは良いと思う。毎年映画でしんのすけやのはら一家にあの手この手の成長をさせるよりも、スマートだと思うからだ。原作においてもしんのすけが触媒になって、周りが変化していく物語は多い。だから、これもまた一つの「クレしん」の在り方なのだと考える。

さいごに

ぼくが「クレしん」と出会ったのは5歳のころだ。偶然、しんのすけ同じ年齢だった。その時のことを未だに覚えている。酷い風邪をひいて寝込んだ日、夜になって少し動けるようになったら、母がご褒美だからと選んだ本を一冊買ってくれたのだ。それがクレしんだった。

クレしんは、確かに下品だ。下らない下ネタに満ちている話は多いから子供から遠ざけたくなる。けれど、そういうものがあったとしてもクレしんが伝えるメッセージ性というのは確かにある。

だから、この作品も過去の作品も、お子さんがいるご家族は是非親子一緒に観てもらいたい。

映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦 [DVD]

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映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 [DVD]

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*1:特にこの点に置いて、受け付けない人が多少なりともいる気がする