グロテスクで、暴力的で、そして美しい「根源的暴力 Vol.2 あたらしいほね」(鴻池朋子展)
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生きること、というのはそもそも暴力的なことであるのだろう。
鴻池朋子展「根源的暴力 Vol.2 あたらしいほね」を観に行った。会場は群馬県立現代美術館。 主に牛皮で形取られた作品たちは、とても魅力的でグロテスクで、暴力的で美しかった。
氏は言う。「これまでの芸術は自然から切り出してきてばかりだった。だから、つないで自然に返す、そんな芸術を」と。
美術館のなかの展示室は、キューブ状で真っ白だ。その中にゆったりと配置された作品たちには光が当てられて影が落ちる。近づいて作品を見て行くと、可愛らしい動物が描かれていたりグロテスクな紋様が刻まれていたり……。
気色悪い。気味がわるい。
きれいになめされた皮の上に、グロテスクな心臓や可愛らしい動物が描かれている。死の匂いが排された皮の上に、濃厚な死のにおいがまぶされている。目を背けたくなるけれども、なぜだかそれができない魅力がそこには在った。
ぼくらの日常は死に充ちている。理解しているつもりでも、それを体感できているとは言い難い。ぼくたちの日常は、あまりに丹念に、死のにおいから遠ざけられている。
生きているからこそ、死と隣り合わせなのだということを改めて認識すると、また様々な景色が違って見える。
「知ってしまったからには、元には戻れない」。
そのメッセージは強力だ。一旦認識してしまったからには、もう元には戻れないのだ。
展示作品の凄み
統括すると、「狂気に一歩踏み込んでいる」というのがぼくの感想。
日常的に革製品を使っているけれど、それを使って濃厚な死を漂わせる、その表現力と発想が常軌を逸していて素晴らしいと感じる。
特に気に入ったのは、この鳥の羽を使ったアート。皮や羽を使って可愛らしくポップにまとめあげているのに、そこにはやはり死のにおいを嗅ぎ取らざるをえない。動物の死体の破片を使って、こんな表現をどうして発想できるのか!とぼくは驚いた。
そして、この鳥のアートはとても広い部屋に吊るされていて、同じ空間に牛皮を継ぎ接ぎして作られた巨大な作品がある。
この空間の演出が、作品のお腹の中にいるかのような気分にさせられ、不思議な高揚感を覚える。
アートへの没入感
この、作品のなかへの没入感、というのは大変に意識されているように思う。
赤ずきんを題材にしたアートが並び、その先には皮で作られた家がある。そこに入ると、おとぎ話を示した影絵がくるくると回っている。
そんな家を抜けると、冒頭にも示した、超巨大なアートがぼくらを迎える。狭い中を抜けた先の巨大な空間と展示に、ぼくは息を呑んだ。その演出が憎らしいほどに、素晴らしく決まっている。
「写真撮影可」ということであったが、この魅力は、実際に行ってみないと味わえない。
さいごに
氏の描く動物はたいへんにキュートで、可愛らしい。しかし、それがより強烈に効果的に、グロテスクなおとぎ話のような氏の世界へと誘ってくれる。
ぼくらの世界は、どう繕ったって、どうにもひどく暴力的で死のにおいが充満している。けれど、だからこそ美しいのだ。知ってしまったら、もう戻れない。
案内
会期はそろそろ終わりで、群馬県の美術館ということもあり、なかなかアクセスはよろしくない。 最寄り駅まで行ってタクシーを使うか、バスを使うか。車で来ることを前提とした作りになっている場所だ。
それでも、磯崎新の代表作とも言える美術館そのものも美しく、そんな建物と一体となった今回の展示は、手間を掛けてでも行く価値はある。
- 会期 : 2016年7月9日[土]-8月28日[日]
- 会場 : 群馬県立近代美術館
- 費用 : 一般:610円、大高生:300円