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劇場版「聲の形」、ネタバレなし感想とあらすじ、そしてぼくの思うこと

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映画『聲の形』を観た。ぼくは、とんでもないものを目撃してしまったと思った。

美しい画面と包み込まれるような音楽。うまくコミュニケーションできない主人公たちの心の裡を、カメラの動きが、音楽が代弁しているかのようである。

主人公たちは自分たちの気持ちを語れない。だからすれ違ってしまう。けれど、音楽、カット割り*1画面切り替えがあまりにもダイレクトに主人公たちの心を描き出し、ぼくはスクリーンから目を逸らすことができなかった。

漫画的で可愛らしいキャラクターたちによって、抉るように生々しく描き出される生きることの難しさ。

少女をいじめてしまった少年。ある時を境として、その標的が自分に移る。そして知る自分のしでかしたことの大きさ、そして彼女の想い。取り返しのつかないことをしてしまったと後悔し続ける彼は、心を閉ざして孤立した日々を送る。

「俺、最低な人間だから。生きてちゃ、まずい人間だから」

そして高校生になった彼は、彼女の元を訪れ、5年ぶりに再開する。彼はその時、ある決意を持っていた。止まっていた彼らの時間は動き出す、残酷で優しい、そんな作品だ。

聲の形(1) (週刊少年マガジンコミックス)

聲の形(1) (週刊少年マガジンコミックス)

感想:シナリオの凄さ、2時間とは思えない濃密さ

本作品の原作は、7巻から成る。それを、ほぼ最後まで描ききっているのが本劇場作品だ。

ぼくは原作を冒頭部分しか読んでいなかったのだけど、原作から削られている部分は確かに多いと感じた。けれど、まったく物足りなさはなかった。それほどまでに、この劇場作品は、原作の本質を捉えて再構築し、また新たな世界を描ききっているのだ。

テーマはディスコミュニケーションだ。この作品を観ていると、純粋な「悪意」っていうのは、実はそう存在しないのではないか、と思う。主人公はガキ大将で、クラスのなかで浮いてしまうヒロインのことも気を遣っていた。

「お前さぁ、もっとうまくやらねぇとウザがられちゃうんじゃねぇの?」

それが、ちょっとしたからかいから、それはきっと小学生の単なる好奇心から、いじめへと発展してしまう。そこには、ガキ大将として、ヒーローとしての主人公なりの考えがあった。けれど、それは一歩引いてみれば看過しがたい行為であり、主人自身もそれを何年も後悔する。

ただ、それぞれに必死に自分を、誰かを守ろうとしただけなのだ。だからこそ、すれ違ってしまい、お互いに不幸な事態へと陥ってしまう。少なくともこの作品において、純粋な「悪意」ってのは存在しないのだと思う。強いて挙げるのであれば、そのような状況に陥るようなタイミングで出会いがあった、その事実こそが、「こと」の原因なのだ。

そこの描写においては、細心の注意が払われ、けれど、間接的に描かれる。それがまた生々しく、観ている者の心を抉るのだ。

演出は口ほどにものを言う

映画っていうのは、大別して2つに分かれると思っている。一つは、ピザを片手にゲラゲラと笑いたいもの。もう一つは、劇場の大スクリーンで味わって観たいもの。 この映画は、後者になる。

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まずはPVを観てもらいたい。可愛らしいキャラクターが、写実的に美しい背景とともに映し出され、映像が紡がれる。 この作品は、キャラクターの演技は2.5次元、背景は2.7次元という注文が監督からついたという*2

ノイズだって、世界の音のひとつ:音楽、音響について

音楽が、これほどまでに効果的に使われている作品を、ぼくは知らない。表情豊かな音楽が、映像では描ききれない、描けない登場人物たちの心の動きを、想いを的確に描き出してゆく。

本作品では、キャラクターたちのディスコミュニケーションを描く。 相手に伝わらない本心、言い表せない言葉。だから、観客として観ているぼくらにも、その気持ちは伝わらないかのように思う。 けれど、音楽がそれを代弁してくれる。ピアノの弦を叩く音、打鍵音。メロディではない、そういったノイズらすらはっきりと聞こえるように丁寧に作られている。それが、また映像の緊張感を増し、ぼくらを映画のスクリーンの向こう側へと引っ張り込んでくれるのだ。

ドキュメンタリーのような映像:背景、撮影、カメラワーク

背景は、ひすい色がテーマとのことで、街路樹が多く緑の多い街の様子が透き通るような色で描かれる。また、特筆すべきが映像のカメラ感。手持ちカメラのようにブレたり、映像の周辺でレンズの歪みのようなエフェクトが掛かっていて、それがまた、彼らの世界をカメラで切り取ったドキュメンタリーのような印象を持たせる。

カメラワークは、音楽と合わせて直接は描かれない登場人物たちの気持ちの動きを描き出す。

例えば、時折カメラは主人公の目線の代わりとなる。口では大丈夫だ、と言っているけれど、その目線は相手から外され顔が観られない。そんなシーンでは、実際に話す相手の顔がフレームアウトし続け、首から下しか描かれない。また、迷うようにカメラが彷徨ったりする。

また、盛り上がる大切なシーンだというのに、カメラから人物の顔がフレームアウトしていたり、明後日の方向を向いていたりもする。これが、また逆に効果的で、彼らの「声」に集中して、やりとりを「見守る」ならぬ「聞き守る」こととなる。

ほか、水面の美しいカット、背景だけが映し出されるカット。それらはたいへん抽象的な印象なのだけれど、彼らの気持ちを暗示していて、嫌が応にも、一秒たりとも映像から気が抜けないような憎い作りになっている。

最後に

「君の名は。」と同時期に、まったく作りの違うこの作品が出てきたのは驚くべきことだと思う。あちらは、第三者視点で淡々と起きている事実を描いている。こちらの作品は、カメラがより、登場人物に近い……というよりも、登場人物の視点で映像が紡がれる。淡々と、起きている事象をカメラが映し取る作品と、登場人物の視点に入り込み映し取ることも厭わない作品。

つくりが、全く違う。だからこそ内面に入り込み、抽象的なカットを挟み込み、その心情をあらわにすることができた。それは、優劣ではなく、作り込みの違い、アプローチの違いだ。そんな、切り口の全く異なる作品を、同じ時期にスクリーンで観ることができた、その事実にぼくは感謝したい。

「君に、生きるのを、手伝って欲しい」

人っていうのは、一人では生きられないのだ。だからこそ、勘違いして、すれ違って、仲違いして、手酷い失敗をしたって、お互いを理解しようと、また暗闇の中でお互いの手を、姿を探り合うのだ。

ちなみに、原作は1巻までkindleで無料になっているが、劇場版を観る前には未読か、あるいは2巻まで読んでからにしてほしい。作品の「セットアップ」が重すぎて、そこで「合わない」とリタイアしてしまう人がいそうだから。僕は願う。重いけれど、せめて2巻まで読んで、その先の世界を目撃してもらいたいって。

ちなみに、初期投稿版と読み切り版とで色々違う点が多いそう。ファンとしては一読の価値が有ると思う(そういうぼくは、さっき本屋で買ってきた)。

*1:映像におけるシーン切り替えの意

*2:公式パンフレットより