立て直せ、人生。

人生行き当たりばったりなアラサーが、無事にアラフィフになれるように頑張らないブログ

【ネタバレあり】映画「きみの声をとどけたい」は優しい日常を描く泣けるアニメ|感想・レビュー

スポンサーリンク

変わり映えのしない日常は、尊いものだって良く言われる。けれど、その尊さっていうのはなかなか感じられないって思う。

この映画は、湘南、鎌倉の海辺に住まう女子高生たちの日常を描いた作品だ。すれ違いや人間関係の悩み、そして将来について。誰もが持つ、ありがちな悩みと対峙する女子高生たち。そんな彼女たちが、百メートル程度しか届かない、ミニFM局を中心として繫がってゆく。

決して派手な映画ではない。地味だし、作画も脚本も突出して「素晴らしい」といえる部分はない。物語の本筋も、予想通りの展開で、ドラスティックな盛り上がりなどはない。だけれど、ぼくは幾度も込み上げてきてしまった。

彼女たちを取り囲む環境、彼女たちの関係。それらがとても暖かで優しくて、あまりにも眩しくて、だからぼくの目はぼろぼろと水分が滲みだして、そうしてとけてしまったようだった。

たまたま気になって観たこの作品。ラジオのチューニングダイヤルを回し、たまたま見つけたラジオ番組が、地味なんだけれど、なんだか気に入ってしまった。そんな気分にぼくは浸っている。

あらすじ

海辺の町に住まう主人公「なぎさ」。彼女は、幼少のころ祖母から聞かされた"コトダマ"を信じていた。願えばきっと叶うのだ、悪口は自分に返ってくる。それがコトダマだと、彼女は考えていた。

なぎさには3人の幼なじみがいた。そんな幼なじみは、将来のことに悩んだり、友人との関係に悩んだり、部活のことで悩んでいたり。なぎさ自身も高校2年性になり、将来の進路についてどのようにするべきか、決めかねていた。

そんなある日、なぎさは海辺の喫茶店に入り込んでしまう。その店は、「喫茶アクアマリン」。既に閉店して久しいようであったが、ミニFMの設備が整っていた。彼女は出来心でDJの物まねをしてみるが、それが実際に放送されていたのだ。

そして、その放送を聞いたリスナーからのメール。それは、その喫茶店のオーナーの娘「紫音」から。

「祖父が喫茶店を営業して、母がDJをやっていた。12年前の事故で二人とも亡くなった」

youtu.be

「なんでお母さんが死んじゃったなんて酷いこというの!?」

「酷いこと言ったら本当のことになっちゃうんだよ?」

「お母さんに言葉、届けよう?」

ミニFM局を中心として、高校時代の一夏の思い出が、淡く、けれど鮮やかに描かれる。

以下ネタバレ:感想・レビュー

ムラがあり、完成度の高い作品だとはいえない。けれど、優しい作品だ。だから、気が向いたら、暇つぶしにふらっと劇場に立ち寄って観てみてほしいな、と考えている。

正直言って、この作品を観ていた最初の30分か40分かは、評価は非常に低かった。主人公「なぎさ」はどこか不思議ちゃんで、みていて痛々しい。そして、不法侵入してラジオの設備を勝手に動かして、DJの真似事をしてしまう。 流れもどこか緩慢で、スローテンポであった。

そんななぎさの行動をみていて、いたたまれなくなって、変な汗が流れ続けていた。

けれど、後半に入って、そんな感想は消しとんだ。喫茶アクアマリンを中心女の子たちが集う。たった一人の放送からはじまった、ミニFMの放送は、新たな友情を作り、壊れかけた関係を修復してゆく。

そんな彼女たちの、この頃だからできる本音のぶつかり合いというものが、湘南の美しい景色とともに目に飛び込んできて、それが大変に眩しく感じられる。

誰かの居場所は、きっと引き継がれる

この作品の込み上げてくる1番のポイントは、人々の優しさだ。

女子高生たちが、ミニFMを再開しようという。そんな遊びに、地域の大人たちが乗り気になって、その手伝いをしてゆく。輪を広げてゆく。

事故で意識が戻らず、寝たきりになってしまった紫音の母。健在であったころは、商店街のみなが集い、喫茶店は賑わっていた。

その頃の様子を知る人たちが、紫音の母の居場所で、彼女は独力でその場所を作ったのだ。

それが、娘たちを助ける。彼女自身も助けることとなる。

作品の最後、喫茶店は取り壊され、彼女たちの物理的な集まる場所はなくなってしまう。けれど、電気屋の親父が機材を引き取り、寺の息子が境内を提供し、商店街の人々が集まり、機材の準備を行って、即席の放送局をつくりあげる。

物理的な場所がなくなったって、人の居場所ってのは、人々の中にのこり、そして受け継がれてゆく。

アマチュア無線趣味の電気親父を筆頭に、人々と優しさの輪は、12年の時を経て繋がる。人の想い、優しさ、そういったものは、刹那現れて消えゆくものではなく、その場に留まり続ける、人々に影響を与え続ける——そう感じた瞬間、ぼくの涙腺は決壊した。

自分たちの興味のあることに、全力で。

ぼくが泣いてしまったもうひとつが、ここだ。

ミニFM局、古びた喫茶店。そんなところでミニFMを再開しよう!だなんて、たぶん、いま大人になってしまったぼくにとっては出来ない行動だ。

大人になって生計を立てる。なにかをして、その対価として、お金をもらう……。それがいつしかぼくにとっての、常識の根っこになってしまっていた。

けれど、彼女たちはそんな行動原理とは違う。知り合ったばかりの女の子のお母さんに言葉を届けるのをきっかけとして、単にFM局を運営するのを楽しんでゆく。

部活だ。ぼくは思った。眩しいのは部活なんだ。

放課後、他愛もない話に夢中になって、あるいは活動をして……気づくと夜も暗くなっている。

お金でなく計算でなく、ただその活動を楽しむ、サークル活動が、部活動がぼくには眩しく感じられたのだ。

好きなことをやっている人たちの姿って、たいへんに素敵だ。だから、彼女たちの生き生きとした姿は、きらきら輝いていて、ぼくは正視するのが厳しかったのだ。

さいごに

映画を観終わったあと、劇場は暖かな拍手で満たされた。「これはずるい」っていいながら、前の二人のおっさんたちが、眼鏡を外して目をぬぐっていた。

ベッタベタの手垢まみれの作品。けれど、ワンシーンワンシーン、丁寧に積み上げ、その結果を回収していった、その物語は優しさに包まれていて、ぜひ社会に疲れてしまった人に観てもらいたいな、ってぼくは思うのだ。