立て直せ、人生。

人生行き当たりばったりなアラサーが、無事にアラフィフになれるように頑張らないブログ

あの頃、サンドイッチは「ハレ」の食べ物だった

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朝、駅に電車が滑り込む。電車の中は驚くほど密度が高く、駅のホームに並ぶ人たちを詰め込む余地などないように思われるが、不思議と人々を詰め込み、ドアは閉じ、再び走り出す。

車内は身動きなど取れぬほどの圧迫感であるが、不気味なほど静かで、モーターの音、車輪とレールの擦れる音だけが聞こえてくる。

駅に降りると、疲れ切った顔の人々が降りて行き、めいめい自分の会社に向かって歩き出す。誰であったか、「電車は可逆圧縮ではない、不可逆圧縮だ。少しずつ磨耗してゆくのさ」と口にしたのは。

そんな色のない白黒の世界の中に、鮮やかな集団が目「留まり、僕は足を止める。

「電車すごかったねー、でも、見学、楽しみだねー」

「サンドイッチ、作ってもらったんだー楽しみ〜」

どうやら、小学生の集団の遠足か社会見学か。低学年から中学年くらいの子供たちがひとかたまり、色とりどりの服を着て喋りあっていた。

ぼくはそれを見て、カバンの中からセブンイレブンのビニール袋を取り出す。そこには、ひしゃげたサンドイッチが入っている。サンドイッチは、朝、メールチェックしながら食べるのに最適で、ぼくの朝ごはんの定番であった。

子供の頃、ぼくはサンドイッチが好きだった。小学校は、基本的に給食だ。しかし、それはひどくまずく、ご飯は冷えてるし、うどんは伸びている。アスパラガスは芯しかなくて噛みきれず、緑色のグリーンピーススープは見るだけで喉元にこみ上げてくるものすらあった。

だから、ぼくはお弁当が楽しみなのであった。

母は「たまのお弁当だから」と、ぼくのワガママに応えてくれた。シーチキンの甘辛フレーク、カニカマの入っただし巻き卵。

主食は、学校で食べるときはご飯が詰め込まれ、外を歩きまわるときはサンドイッチであった。これは、ぼくのこだわりだった。外で食べるときに、俯いてご飯を見つめるのより、上を向いてサンドイッチを頬張りたかったからだ。

「サンドイッチは面倒なのよ」

母は言った。子供向けのサンドイッチ箱に入るようにパンを切り落としたり、パンがぐずぐずにならぬよう、マーガリンを塗ったりする。

「あんたも手伝いなさい」と叱られ、手伝ってはみるものの、手際が悪く、出発直前になる。何より塗りかたが雑であったので、母は呆れた様子で「あんたねぇ……」とぼやいた。

子供の頃の記憶というのは驚くほどの効力で人生に影響を与える。高校生になっても、大学生なっても、ぼくのなかで「サンドイッチ」は少し特殊な立ち位置をとり続けた。 都内散策の休憩として少ししゃれた喫茶店で、車で出かけた先のコンビニで空を眺めながら、友達と原稿の打ち合わせをしながら——

だから、ぼくにとって、サンドイッチは「ハレ」の日の食べ物であったのだ。

鮮やかな子供たちは、引率の先生か、若い女性に引き連れられて降り口に向かっていった。1人の子供の首かけの水筒が、楽しげに左右に揺れながら小さくなってゆく。

ぼくは、ビニール袋から潰れたサンドイッチを取り出し、口にした。べったりと塗られたマヨネーズのくどさにびっくりして、ペットボトルコーヒーでのみ下す。口の中に、苦みが広がっていった。

ぼくは、上司に「私事都合で1時間遅れます」とメールを飛ばした。そうして再び電車に乗り込み、二つ先の駅の喫茶店に入った。そして、ミックスサンドを頼み、スマホを取り出したメールを送る。

「今度、実家帰ったときサンドイッチとカニカマだし巻き卵食べたい」

「面倒」

「手伝うわ」

「蟹で手を打とう」

サンドイッチが運ばれてきて、ぼくはスマホを置いた。ここのサンドイッチは美味しくて、学生時代東京に出たときは遠回りでも食べに行くことがあったくらいだ。

タマゴサンドを口に頬張る。懐かしい味が口に広がる。目を閉じると、子供の頃、遠足で見た自然公園の青空が、まぶたの裏に広がっていた。