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真実よりも正しいフィクション。山本弘「アイの物語」レビュー・考察

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ヒトの繁栄から数世紀。かつて「新宿」と呼ばれたその街は、今にも崩れ落ちそうなビル群が林立する。

そんな廃墟の中で、「僕」は少女と出会う。少女はあまりにも美しく、文字どおり人間離れしていた。そう、少女は人間ではない、アンドロイドだ。

「語り部」

少女は涼やかな美声で語りかける。

「君を探していた」

アイの物語 (角川文庫)

マシンが世界に君臨する世界で、人間はアンドロイドから食糧を奪い、生き延びていた。「僕」もアンドロイドたちから食糧を奪い逃げる途中、少女のアンドロイド「アイビス」と出会った。

「僕」は少女と戦い、負傷し、捕らえられる。 そして、マシンたちの病院に収容され、アイビスに物語を聞かされる。

仮想現実や人工知能を題材にした6つの物語。女性の主観で描かれるそれらを聞かせるアイビスの目的とは?なぜ人々は衰退したのか?なぜアイビスは生まれたのか?なぜマシンは世界を支配するようになったのか?

語られる7つめの物語、「僕」の知らない真実が、今語られる。

 アイはアイビスの愛称。それは「I(私)」であり、「AI(人工知能)」であり、「i(虚数)」であり、「愛」である。

物語とは何なのか?なぜ人々は語るのか?

今、力強い物語が、幕をあける。

作品の魅力

非常にメッセージ性に溢れたSFで、難解なテーマを据えている。しかし、驚くほど読みやすい。すいすいと読み進められる。そして、読み手のなかにその主張は素直に染みこんでくる。「語られてこそ物語だ」「語られる物語こそが、世界を救うんだ」という信念が伝わってくるようだ。

この作品では、ぼくたちの世界に対する認識と、「意識」そのものについて扱われる。例えば、人間の意識がコンピュータの上で実行されるようになったとき。たとえば、コンピュータの上で意識が芽生えたとき。

「ええ。あれはみんなフィクションだけど、真実よりも正しい。私はそう思っている」

この本に収められている短篇7つのうち6つは、もともと個別のSF短篇として創られた作品だ。人とアンドロイド、人と創作された物語、人と仮想空間。「人・現実」と、「創られた物・フィクション」の関わり合い。それぞれ短篇として取り上げても素晴らしく出来の良いSF作品だ。しかし、これらがアイビスによって語られていくに従って、有機的に繋がり、より強いメッセージが浮き上がってくる。

この作品は、自らの主張「真実よりも正しいフィクション」というものを、実際にやってのけているのだ。

ネタバレ感想

あまりにも読みやすく、盛り上がる短篇の数々。さくさくと読めてしまう、というか次の展開が気になって仕方が無い。 特に気に入ったのは、 「ミラーガール」「詩音の来た日」 だ。

「ミラーガール」 は、こどものおもちゃむけAIだ。主人公「麻美」は、幼い頃親から「ミラーガール」が買い与えられた。ミラーガールの中には異国のお嬢様「シャリス」が住んでおり、お互い鏡を介しておしゃべりをする。彼女は、ミラーガールとコミュニケーションをとり続け、ほとんど親友のようになっていた。しかし、世間からみたらそれは単なるおもちゃ。彼女は徐々にシャリスと距離を置き始める。

「シャリス」の中には、主人公に対する反応モデルがあり、どんなことを言えばどんな反応をするのか?常に推論をしながらやりとりをする。だから、意識があるわけではない。けれど、人とのやりとりを問題無くこなすのは、中身がどうであろうと、もうそれは「人工知能である」と見做してもよいのではないだろうか*1。 人間だって、現実を直接認識できるわけではなく、ごくごく限られたインタフェースで世界を覗きこんでいるに過ぎない。ならば、ぼくたちが感じ、認識したものこそが、現実なのだ。

「詩音の来た日」 。ある日介護施設にやってきた詩音。主人公の「神原」は詩音の世話役を命ぜられる。詩音は、見た目は人間そっくりで、力は人間の倍以上あり、心強い介護アンドロイドだ。しかし、老人達と気の利いたやりとりはできない。人とのコミュニケーション不全は、介護の現場では大問題だった。

神原は、詩音に人間らしさを獲得してもらうために、様々な行動を起こす。徐々に人間らしくなってゆく詩音であるが、それでもやはりどこか違和感は拭えない。

この物語の注目すべき点は、「すべてのヒトは認知症なのです」という詩音の結論だ。似ているからこそ目立つ決定的な違い。神原は詩音をより人間らしく、と考えていたが、どんなに頑張っても差異というのはあるのだ。詩音は、"アンドロイドと違って論理的でない"ヒトを、「すべてのヒトは認知症で、症状に程度の差がある」のだと結論づける。普段、様々なものを「ヒト」側からのみ見ているぼくたち。ヒト以外の存在からの視点というのは斬新で、足もとをひっくり返されたような感覚に陥った。

そうなのだ、違っていて良いのだ。この物語はそう伝える。違いを認識して、コミュニケーションを取れば良いのだ。違いを覆い隠すのではない。認めるのだ。ヒトと異なる存在である犬や猫などの動物と共存しているように。そうすれば、ヒトが創った存在(アンドロイド)とも、共存は可能ではないだろうか。

さいごに

ぼくは、新しい視点を与えてくれる作品というものは、傑作だと考える。だから、この作品は紛れもない傑作だ。

エンターテイメントとしてみても飽きが来ず、テンポ良く読み進められる。そして、気づくと「仮想世界」と「現実」、「ヒト」と「アンドロイド」についての議論のただ中に放り込まれ、そして読み終えたときには視界が開けたような気がする。

果たして、この作品は荒唐無稽な遠い未来の話なのだろうか?そうは思わない。現代においても、様々なものは抽象化され、物理的な存在とソフトウェア的な存在の垣根は揺らいでいる。コンピュータの世界では仮想化技術は常識の物となり、物理的存在と仮想的な存在はほとんど区別されない。

「SFが読みたい!」2007年版国内編第2位とのことであるが、これほど良質な作品が母国語で読めることを、幸せに思う。

アイの物語 (角川文庫)

アイの物語 (角川文庫)

*1:哲学には疎いが、ぼくは機械が知的であるかどうかを判断する「チューリング・テスト」は妥当な物だと考える