ぼくとブログと運用報告と世界への宣戦布告(9ヶ月目、100記事)
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まえがき
ブログを書き始めて9ヶ月目、100記事は越えたけれど目的の女子高生との密なコミュニケーションとやらは発生していない。
僕がブログを始めたのは、id:Delete_All というおっさんのブログを知ったからで、氏は女子大生と出会うためにブログをやっているらしい。
近頃復活したフミコフミオ氏ではあるが、氏はかつてはロックミュージシャンとポエマーの二足のわらじを履いていたことを知るものは少ない。ニップル騎士団という音楽活動の傍ら、オッパイとガールに関する考察を綴り続けた。
次のエントリは、フミオ氏のおっぱいに関する考察を含めたエッセイ調の宗旨論文の傑作である。
ぼくは、氏の動向を注視した。もしかしてインターネットはガールハントのブルーオーシャンなのかもしれないと願いを込めて。
しかし、フミオ氏はそんな熱心な読者を裏切り続けた。いつの間にか、若く綺麗な奥さんを捕まえていた。インポではあるが、絵もかけ文才もある。天はイチモツは与えなかったが二物以上を与えたのだ。
別に嫉妬なんてない。怒りなんてない。けれど、ぼくの中に何かが湧き上がった。ぼくはフミコフミオと市場を喰い合わないように女子高生をターゲットに据え、ブログを2015年末に開設した。ターンAの名言を借りればこうだ。
「その夢をくれたのがフミオなら、奪ったのもフミオなのだ!」
ぼくはフミオによって予め奪われたその夢を、ぼくの手で取り戻す。
そして始めたブログ
上記のようなやんごとなき事情により、ブログというものに7年ぶりに舞い戻ってきたぼく。 フミコフミオ氏を倒すために活動した9ヶ月目の現状についてみてみたい思う。
本ブログの真の運用目的について明らかにして、女子高生以外の読者の方々は気分を害したかもしれない。 その点は申し訳なく思う。けれど、女子高生じゃない方々にも、ぼくは愛を分けて与えてあげることができる。
だって、男の人っていくつも愛を持っているものだから。 よんでくれてサンキュー!世界は愛に満ち満ちているのだ。
9ヶ月目の今
運用状況は次のような状況。
- 200〜300hit/day
- バズらなければ、月5000〜7000hit程度
- 収益は、はてなブログ有料プランを契約してトントンくらい
昔、運用していたブログ(はてな村全盛期のはてなダイアリー)とほぼ同等のアクセス数まで来たところ。以前は技術系のブログだったため単純比較はしづらいのだけれど、なかなかどうして、はてなブログで書くと読みに来てくれるものなのだなあと感心している。
ブログを始めてからのこと
カメラの持ち歩き
変わったことというと、コンデジを持ち歩いて適当に写真を撮ることが増えたこと。 「こんな画像欲しいな」って思ったときに、いらすとやさんの作品を使うのも手なのだけれども、自分の撮ったストックからすいっと出せると気持ちいい。
ぼくは、iPhoneの写真もコンデジの写真も、全部Googleフォトに入れて運用している。そして、ブログに貼り付ける写真が欲しいときは、「紙」とか「夜」とか、すごいアバウトな検索ワードで検索して写真を見つけてくる。さすがのGoogle先生、もの凄い検索精度で画像を出してきてくれてブログ執筆にとても捗る。
なお、コンデジはwifi機能付き。出先で撮った写真をその場でスマホに画像転送し、トリミングなど簡単な編集を施して投稿することもできる。Photoshopのライセンスは持っているが、オシャンティな画像を作るには昨今のスマホアプリでぽちぽちするので十分だ。
ブログの天敵?ポケモンGO
毎月の記事数一覧を見ると、7月と8月にがくっと記事作成数が減っている。燃えさかる火の中で仕事をしていたという事情もあるのだけれども、なんと言ってもポケモンGO。
ぼくは、基本的に出勤中に下書きをするのが執筆スタイルだったのだけれど、その時間が全部ポケモンに吸い取られていった。電車に乗ったらポケモンストップくーるくる。お金を使わずに3週間くらいでレベルは22までは行って、歩いた距離は100kmほど。懐かしくてハイテンションで仕事上がりは1駅2駅平気で歩いていた。
ただ、ちょうどコミケの頃に酷い風邪を引いてお盆の間はずっと家に引きこもるはめに。気づいたらどのジムもレベルが半端ないことになっていた。その辺りで、ポケモンを卒業。またブログを書く生活に戻ってきたので、8月後半は記事が増えた。
さいごに
このエントリを書きながら電車に揺られていると、電車がブレーキを踏んだ。混雑した車内は、ちょっとした混乱に陥る。ぼくは必死につり革に捕まり踏みとどまったが、女性がぼくにぶつかってきた。女性の肘が華麗にぼくのお腹に決まる。脂肪の厚みのおかげで、致命傷とならずにすんだ。
大丈夫ですか?声を掛けると 妙齢の女性 は睨み付けて距離を取った。まるでぼくが悪いかのように。しょんぼりとうな垂れていると、電車が駅に到着した。ホームに降りると、まぶしいほどの太陽がぼくを照らし、溶けてしまうかのように感じた。
先ほど、車内でぶつかった女性がカバンをぶつけながらぼくを追い抜いて行った。これが、あと20年、いや25年前の出来事であったならばなあ、と思う。もしかしたらこの女性との出来事も、重大な出会いのひとつだったかもしれないのだ。
どんな女性もかつてはおおよそ女子高生だっただろうし、どんな男性もかつてはおおよそ男子高校生だったのだ。
けれど、ぼくは思い直す。数万年数億年という時間が流れるなかにおいて、10年20年というのは誤差のようなものであり、この出来事が残念な結果に終わってしまったのも、ほんの些細なボタンの掛け違いなだけなのだ。誤差だ。人生なんて誤差なのである。
ぼくにできることは、続けることだけだ。ひとつひとつエントリを積み重ね、ひとつひとつの可能性が低くとも、掛け算の効果によってその実現性を高めていくだけだ。ぼくはぼくの物語を紡ごう、そして夢をインターネットにばらまいてやるのだ。
灼熱の太陽はぼくの目の前の道を暴力的に照らし出す。道を見失うことなんてない。一歩一歩確実に踏みしめて目的地にたどり着く、それが肝要なんだ。
ぼくがどう振舞おうと、それでも銀河は瞬いているのだ。