「リゼロ」アニメが面白かったけれど素直に褒められない(全話感想)
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今更ながらリゼロを観終えた。 率直に言って面白い。これだけ話題になるのも頷ける。
音楽、作画、撮影どれを取っても、テンション高く作られているし、毎話の引き方が大変に工夫されて「ちょ、えっ、おいっ」ってな感じ。暗転した液晶に口あんぐり開けたキモいおっさんが映り、すごすごとベッドに戻る。
しかし、一方で脚本厨としてのぼくとしては、「これはなぁ」と苦言を呈したくなる点がある。それは2クール目の展開だ。
ということで、「リゼロ」こと『Re:ゼロから始める異世界生活』について、ぼくの感想と評価を述べたいと思う。残念だった点については「ぼくのかんがえたさいきょうのりぜろ」語りになっているのは否めない。ごめんね、ぼくオタクだから。
無論、ネタバレ満載であるので、観終わっていない人は読まないようにしていただきたい。
リゼロのすごさ
とにかく1話の掴みがうまい
この作品、かわいい女の子が出てくるだけじゃない。この作品の全ての要素・属性が、1話で全て示される。かあいい女の子、死んで生き返る主人公スバルの能力、それによってスバルが今後どのように世界サバイヴしてゆくのか。そして、スバルのエミリアに対する想い。
エミリアの撮影処理*1は気合いが入っているし、えげつないシーンは凝ったカメラワーク、作画パワーを費やし、「こういうところにも力をいれるんだ!」と視聴者に示す。
こんなふうに、作品の世界、物語を立ち上げた上で、引きを作って次へと繋ぐ。素晴らしい手腕だ。
個人的には、初回から25分できっちり収めてくるアニメの方が好きだった。初回1時間スペシャル!というのは、掴みを25分に収めるのを諦めた、贅肉が多い「妥協」の産物のように思っていた。しかしこの作品は、そうではなかった。魅力を最大限に伝えるためには、この1話50分のスペシャルにする必要があったのだ。
作画が凄い
1話からして、可愛い女の子がぎゅるんぎゅるん動くし、迫力あるアクション作画で、作画オタクとしてのぼくはもうはーと♡ずっきゅん掴まれてしまう。テレビシリーズのアニメなんて、スケジュールが大変に厳しい。1話でぐるんぐるん動いても、2話以降で早々に息切れし始めて「すたっふしゃーん、がんばえー」状態になってしまう*2。
それが、このアニメ、全然息切れないのである。なんだこのアニメ。
監督が凄腕アニメーター
渡邊政治、誰だろう?って思っていたんだけれど、「拙者五郎」という名前でも活躍する凄腕アニメーター。京都アニメーション出身のこのお方は、ナルトやシャナの暴走作画(褒めことば)で有名だ。
その姿は、以下のMADを観て頂ければ分かると思う。ぼく、好きなんですよ、拙者五郎氏の暴走作画……(恍惚とした表情)。
そんな監督のもとに集まったアニメーター達だって、やっぱり凄腕なのだ。田中宏紀氏、細田直人氏、吉田徹氏などなど……そして、吉成鋼氏の参加。
吉成鋼氏の参戦。
げえっ、とぼくが思わず声を出してしまったのが、吉成鋼さんの参戦。次のような作画MADを観てもらえれば分かるけど、「うますぎてCGにみえてしまうアニメーター」の一人だ。
参加していたのは、11話。どうやら、レムとラムの過去の回想シーンの中、レムが起き上がって、ドアを開けるところ〜ラムが踊るように敵をなぎ倒すあたり。
大変に地味な作画カットなのだけれど、もの凄く丁寧な動きをしていて、小さな女の子独特の柔らかさなども伝わってくるようだ。
鬼すごい。
撮影が凄い
キラキラしてんだよ、世界が。輝いてやがる。女の子の髪の毛は透き通るような美しさで、宝石のように煌めく。女の子の笑顔は、輝く。薄暗いなかでの絶望的なシーンは、人物達が何をやっているのか分かるよう、しかし不自然に明るくならないように細心の注意が払われて色彩設計がなされている。
それが、先述の作画力、また監督のコンテ力、レイアウト力に支えられている。そして、それらが協調し、驚くほどの質感を感じさせる。ファンタジーの世界を描いたアニメだというのに、この実在感は異常だ。液晶の向こう側で、もうひとつの世界が立ち上がる *3。
リゼロの残念だった点
さて、ここまでべた褒めであるのだけれど、ぼくが心の底から他の人にお勧め出来ない点がある。それは、やはり脚本観点だ。面倒くさいオタクだって?ごめんなさい。ぼくも、「めんどくさいなこいつ」って思う。
じつは、よく言われる「引きこもりがなんでいきなりアクティブなんだよ」とか「なんで体力あるんだよ」「コミュ力高杉」 っていうところは全然気にならない。「ああ、こういう前提の作品なんだな」っていう風に捉えている。ただ、2クール目以降の展開について、文句を言いたくなってしまうのだ。
2クール目で描かれる、エミリアとのすれ違いと主人公の挫折。そして成長。 この構成そのものは、オーソドックスなつくりだと思うのだけれど、ちょっとアンバランスすぎやしないか。2クール目に入って早々の13話に仲違いして、最終話付近まで再会できないってのは流石になあ。
気になる主人公の豹変
2クール目で真っ先に違和感を覚えたのが、スバルの豹変だ。 それまで適度な距離感、バランス感でクレバーに切り抜けてきたスバルが、突然わがままで卑屈な別人になってしまう。
そういう状況に陥るきっかけは描かれている。だけれど、それまでの「負の」積み重ねがないので、切っ掛けだけあって豹変してしまった……別人?と思ってしまう。
これは元々の原作の問題なんだと思っている。よくよく振り返ってみると、スバルがエミリアにこだわる理由も薄い。が、これは物語が始まった早々の出来事。「まあスバルってよく分からんがそういう人物なんだろう、一目惚れとか」みたいな感じでスルーできる。しかし、物語も進んで視聴者が「スバル」の人となりを知ってしまうと、「なんでこの度胸も知恵もあるスバルが、こんな風になってしまうのか」という理由付けが必要なはずだ。それが、無い。
それまでのスバルがよい子であったからこそ、卑屈になった理由の厚みが必要だ。そして、そんな問題を乗り越えるからこそ、主人公は大きく成長する。
この「内面的な問題の壁」を乗り越えるシーンを描くのが充分でないようにぼくは考える。エミリアとの問題を抱え込んだスバルは、さらに追い込まれて行く。解決するどころか悪化の一途を辿り、全てを諦めようとする。じゃあどうやってそれを乗り越えるの?
どうやって腹をくくって内面の壁を乗り越えるのか?どうやって冷静さを取り戻して、前よりも一歩成長したスバルになるのか?
その打開策がレムだった。
レムの存在の危うさ
2クール目の主題となる問題はこうだ。エミリアがスバルにとって都合の良い女性ではなかった。スバルの勝手な考え、想いが拒否されたうえ、その本質が理解できずに何をやってもうまくいかない。それをどう乗り越えてゆくのか?
その答えが、「母親みたいに全てを受け入れてくれる、都合の良い女性」であるレムであった。
スバルがレムの信頼を得て行くシーンはあった。そこには説得力があった。しかし、行きすぎていた。レムはヒロインを越えてしまい、母親のような存在となってしまった。 逃げ場となってしまったレム。18話では、スバルは絶望から、「一緒に逃げよう」とレムに言う。レムはスバルの折れた心を立て直し、再びスバルは前を向く。
これでは、あまりにもスバルが情けなくはないだろうか。心の中の壁をどう乗り越えるのか?というのが描かれるのかと思って居たら、優しく引き上げられてしまったようにぼくには映った *4。
さいごに。それでもやっぱり、リゼロが好きだ
こんな文句を沢山書いてしまったけれど、好きだからこそ物足りなさに文句を言いたくなってしまうのだ。これだけ素晴らしい作品だから、もっともっとと求めたくなってしまう。
悩んで苦しんで、諦めて。その描き方に引っかかりを覚える点もあったが、荒削りだけれど苦悩して前に進もうとしている姿を描いている。その世界の人々の人生を写し取ろうとしている。
欠点があったって、それを含めて個性だ。現実世界だって、綺麗に美しく、なんて都合良く人生は紡がれない。ぼくはリゼロを素直には褒められない。けれど、それでもやっぱり、ぼくはリゼロが好きだ。