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トランプ大統領誕生の大統領選とズートピアにみたアメリカ合衆国

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ぼくはいま、アメリカの大統領選のいざこざをみていて、映画「ズートピア」との符号を考える。

「Love trunps hate.」

レディー・ガガが、トランプタワーの前で掲げた言葉だ。

素直に読むと「愛は憎しみに打ち勝つ」という意味であるが、「トランプの憎しみにも愛を」というダブルミーニングでは無かろうか、とぼくは思う。

この、「USAの大きな動き」からの「アーティストが市民に呼びかける」という構図を見て「ズートピアで観たやつだ!(ガゼルを思い出しながら)」ってぼくはなってしまったのだ。

ここから映画のネタバレが含まれますのでご注意を

ズートピアの鋭さ

「差別問題を訴えたズートピアが全米大ヒットしたのに、トランプ氏が当選するなんて皮肉だね」

って言っている人が多く見受けられたけれど、それはちょっと違うんじゃないかとぼくは思う。

ズートピアは、「強者である肉食動物」と「弱者である草食動物」という構図があった社会が、「強者である草食動物」と「弱者である肉食動物」へと裏返ってゆく展開が、物語りの根幹だ

だから「皮肉だね」という一言で片付けるのは余りに乱暴ではないか。皮肉と言うよりも、「ズートピア」が描いた視点が、見事にアメリカの現状を捉えていたと言うべきではなかろうか。

草食動物と肉食動物

草食動物は数が多く、肉食動物は数が少ない。しかし、その種族の特性からか、肉食動物が社会の重要なポストを占めていた。

これは、今回の大統領選でも同じ構図となっている。 ヒラリー支持側は現状のアメリカの進み方を支持し、トランプ支持側は、それをぶっ壊したい側だ。 いろいろな分析が出ているけど、これは確かだ。

ズートピアでは、事件を切っ掛けに、それまで社会を牛耳っていた肉食動物側が被差別側にまわる。 それまで抑圧されていた草食動物が、数の力で社会の中で強者の側になる。

「肉食動物は豹変する危険がある」という、「事件を基にした事実」により、肉食動物を必要以上に迫害してゆくのだ。

抑圧されていた側が差別する

トランプに投票した人の分析が様々にされているが、そのうちの一つとして、「トランプ支持者は、白人のマイノリティ」であり、「高い技能を持ち所得の多い高度移民」に敵対心を持つ白人という説がある。

それまで抑圧されていた、社会的に立場が弱い人たちが、選挙戦にてまさかのドナルドを当選させたのだ。

この分析が正しいとすると、今回の選挙戦も、上記に挙げたズートピアの物語といよいよ符号する。

ズートピアが作られた国が、何故トランプを?

この言葉を、Twitterでもよく見かけた。 ここまでの話を念頭に置くと、こう言えるのではないか。

このような下地があったからこそ、ズートピアが作られたのだ。アメリカの中では身近な問題だからこそ、そんな映画がヒットしたのだ。

誰だって何にだってなれるさ

「Try Everything.」誰でも何にだってなれる、ドナルド・トランプだって大統領に。その一点だけみれば、民主主義的で大変よろしい。

トランプを選んだ人が差別主義者だとして、差別されたり、アメリカ国外に脱出しようとする。 それまでポリティカルコレクトネス、政治的に中立で非差別的という人たちですら、カリフォルニア独立話が出たり(Calexit)して、混乱のただ中にいる。

もっとも映画と違う点は、ズートピアの中の問題として描かれていたものが、今回はアメリカ国全土の問題であるという点。 都市だけの問題ではなく、現実は都会も田舎もすべて含んだ、より複雑な問題だ。

「トランプの憎しみにも愛を」。トランプと、そのトランプを支持する人たちの憎悪にも理解を示せば、 なにかまた突破口があるのではないか。

ぼくは停滞こそ一番の悪だと思っている。 だから、良い方か悪い方か分からないけれど、この一大騒動で何かが「動き出しそう」という雰囲気に、正直いってわくわくしている。 お互いに認識できなかった、事実上階級が違うような人々が、お互いの存在をきちんと認識することができたのは、大きな収穫の一つなのではないかと思う。それはアメリカだけでなく、日本も。

ぼくは願う、良い方向にアメリカが、世界が向いますように、と。

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