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立て直せ、人生。

人生行き当たりばったりなアラサーが、無事にアラフィフになれるように頑張らないブログ

三十路のおっさんだって、寂しがったって良いじゃないか

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寂しさっていうのは、人を殺すもんだと思う。

この言葉は、あるとき病んでしまった友人が言った言葉である。それ以来、友人達の間で時折使われる言葉だ。

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幸せってなんだろう、寂しさってなんだろう。たまの飲み会が開かれるたびに飛び交う。そんな言葉を口にする友人達は、世間一般からみたら勝ち組だ。一部上場企業に就職し、悪くない給料を貰っている。けれど、皆口を揃えて「大学時代が楽しかった」という。お金が無かったあの頃の方が楽しかったと、口にする。

楽しさっていうのは、幸せっていうのは何なのだろうか。ぼくも考える。お金を稼ぐことだろうか。社会的に成功することだろうか。無論、それらも「幸せになる方法」の一つであろうが、それだけで幸せになるはずはない。

よく、世間で言われる言葉として「学生時代が一番楽しいんだから、精一杯楽しめよ」という言葉がある。ぼくは心の底からこの言葉が嫌いだ。何を言っているんだ貴様は、そんなことを言ってしまえば、学生時代が終わると同時に死んでしまう方がお得だという事になってしまうじゃないか。

ぼくは、そんな風に自分の人生を簡単に諦めたりなんかしない。

幸せと楽しさについては、こう結論づけた。幸せ、というのは未来への不安が無いことだ。楽しい、というのは気の合う仲間と時間を共に過ごすことだ。だから、お金があれば未来への不安が無いし、就職してお金があっても、気の合う友人と時間を共に過ごせる時間が減ってしまえば、楽しくないし、寂しい。

学生時代に戻りたいのだろうか。率直に言うとそうだ。けれど、あの頃が本当に楽しければ、周りの友人たちが次々と病んでしまうこともなかっただろうし、人生を閉じてしまうヤツも居なかっただろう。

「最近みないけれど、あいつ生きてる?」「ううん、亡くなった。先日葬儀行ってきたよ」

学生時代は寂しさを感じることは無かったけれど、今とは違った「しんどさ」というものが確実にあったはずだ。いや、「しんどさ」というものがあったからこそ、せめて寂しさを感じないようにと、皆が集まっていたのだろう。それは、ある種の防衛本能だったのだ。今は、これまでに感じたことの無い「寂しさ」を目の当たりにして、そのときの「しんどさ」から目を背けて、学生時代を美化しているのだ。

だとして、ぼくらはどうしたら良いのだろうか。この「寂しい」という感情は確かにぼくの胸の裡にある。「社会人なのに寂しい寂しいってくよくよして」。そんな風に感じることはあるが、自分自身を誤魔化すことはできない。

中には、寂しさに負けて「結婚さえすれば……」と呻き、片端から婚活サイトに登録する輩もいる。それは危険思想だ。「××さえすれば○○だ」という思いを抱くと、その幻想に裏切られた瞬間、取り返しのつかないことになってしまう。寂しさはどんな人だってどんな状況だって感じうる。寂しいものは寂しいんだと胸を張ろう。寂しさを認めて、正しく向き合う方法を考えよう。寂しさに対抗する、銀の弾丸なんて無いのだから。

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ぼくは願う。社会に出て何年目かのぼくたちの悩みが、思い出になることを。いま、ぼくたちは学生時代の様々な悩みを、良い思い出だと笑って話す。だから、今のこの悩みを消化し、思い出に昇華できるようにと祈る。

「寂しさに殺されてなんてやるもんか、ぼくたちが寂しさを殺すんだ」