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父は死に、三十路を超えてぼくは生き、そして母はWRXを買った

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20代最後の年、父は死に、実家のローンが無くなり、そして祖母のボケは進行し、母はWRXを買ってぼくは三十路となった。

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30歳になって変わったこととはあまりない、と感じるが、書き出してみると意外と移ろっている。久々会う友人に、「老けたな」と心の底からの本音を伝えると、「お前こそ」と返される。

年末、父が死んだ。20代最後の年に、喪主を担った。詳細は、別の機会に譲ろう。ただ、弟は「今日がプロポーブ記念日の予定だったのに」とぼやきながらアクセルを踏み込み、ロータリーエンジンは軽やかに吹き抜けた。葬儀当日、母は泣き、ぼくら兄弟は憑き物が落ちたかのような顔をしていた。久々に見る母は、ぼくの知る母より小さく、そして老けていた。

そして、3月になり三十路を迎え、墓を建て、父を納骨した。
「30歳で家が建ち、40歳で墓が建つ」と言われたエリートサラリーマンのキーエンスよりも、ぼくは人生の先取りをしたのだ。

都会では骨壷ごと納骨することも多いと聞いていたが、地元では何か白い袋に入れ替えて納骨をした。骨を入れる場所を蓋する石が重たくて腰を壊しかけ、墓石の白い布を剥ぎ取り、墓石屋が「これは縁起物ですから、ぜひご予定があれば」と丁寧に布をたたみ、受け取った布をみた祖母はボケた頭で「結婚の予定もあらへんのに」とつぶやいた。

時期は少し遡り、正月、ぼくがまだ20代だった頃。弟は結婚の予定を勝手に決め、母との折り合いが悪くなる。母はこぼした。車も変えなきゃいけない、家もリフォームしなければならない(介護で荒れ果ててしまった部屋は、そのままでは使い物にならないのだ)、祖母はボケが進んでいる、弟は勝手なことを言う……。

母がストロングゼロを手にしていた時はギョッとした。ストロング・ゼロは、ゼロへと導くのだと言う。幸せなものはマイナス方向に、不幸せなものはプラス方向に。ゼロより下か上か?が肝要であった。きっと、いや確実に母はマイナス側に立っていたのだ。

アルコールには無駄に強い母が言った。「酔うのに手っ取り早いストロングゼロは便利なのだ」。ぼくは、申し訳ない、と口にする代わりに、新しいストロングゼロを冷蔵庫から取り出した。

酒に強い母、なぜだか弱い弟。正月の二日目、二人が酒を注ぎあいながら弟が酔いの勢いに任せて母の怒りを買う様子を眺めていた。 ぼくは首を振り、一人クラフトビールを傾けていたが、「東京で暮らしてるあんたは気楽かもしんないけど」と口撃が飛んでくるので、屈んでそれを避けた。

そんな母に、車を買わせた。買ったのはまだ厚手のジャケットが要る3月で、父の墓の建立と同時並行で手続きを進めていた。

正月の母の愚痴「車を買い替える必要がある」を受けてのことだ。 車種はスバルのインプレッサWRX stiという車だ。2500ccのターボで、実用的でラクな車だ。しかし、オートマである。マニュアルを買わせたかったが、面倒だからだという。それに、何よりオートマよりもだいぶ値が張る。

何故WRX、なぜこんなに急ぎで買ったのか。母がこう言ったからである。

「父の名義の車を買い替える必要があり、車検は3ヶ月後。今の母の車は、トヨタの安い15年落ちのおじさん向けセダンで、ガタがきていて調子が悪い」

「セダンで速くて雪道に強い、四駆がよい。アコードより速い車がいい」

バブルを謳歌し、「私をスキーに連れてって」を嗜んだ母。四駆車に対する絶対的な信仰心を持っており、「いつかは四駆」が口癖だった。パルサー、インテグラ、アコードと順調に車を進化させていた母であったが、しかし、今はトヨタのおじさんセダン(2駆)。買った頃は、どうしようもなくお金がなかったのだ。でも、いまは少しずつ貯めた金がある。だから、少しいい車が欲しい、とのことであった。

V-TECのエンジン音を褒める母。ハイブリッドカーを、エコカーを何よりも嫌う。

弟とぼくは画策した。母はMark Xが良いとと言うのだが、それは嫌だった。ガラの悪いおじさんのイメージが強いからだ。車種の選定は難航した。レクサスは予算超える、エボ10のオートマは変速機がアキレス腱、レガシィは前の家の人が乗っている……。WRX A-Lineの存在を知ったのは、そんな時だ。オートマ、速い、雪山強い、そしてセダン。要件は全て満たしていた。

意気揚々と中古車サイトを漁り始めたのだが、弾数は少なく、中古車が掲載されては即成約。そんな日々のなか、ついに手をつけることができたのが、新しい母の車だ。前後のバンパーは軽くぶつけた跡があり、助手席のドアはちょっとした凹みがあった。それでも、ぼくは即決した。ほかに商談が入りかけていたその車は、ぼくの母の車へと収まった。

生息地は三鷹。スバルの研究所があり、旧中島飛行機の飛行場があった場所。 うってうけじゃん、とぼくが口にすると、母は「何が?」と尋ねた。

そうして母と弟は10年ぶりに東京に来た。中古のWRXは東京は三鷹の引き渡しで、下取り車を持って行く必要があったからだ。引き渡し日の前日に来た母と弟は、秋葉原を歩き、ぼくの部屋で寝て、古いトヨタのおじさんセダンと別れを告げ、WRXを受け取った。

納車して1ヶ月と少し。母は言う。「あんたらに騙された、こんなにタイヤが高くてガソリンを喰う車だなんて知らんかった」と。しかし、ぼくは知っている。かつて以上に車をまめに洗車し、手入れしている母のことを。「すごい速い車ですよね、これ」と知り合いに言われたと話をする母の、満更でもない顔を。

ぼくは知っている、どこか欠点のあるけど、どこか飛び抜けた車の方を好む。けれど、母はそれを認めない。

「出来の悪い子ほど可愛いって言うじゃん、僕らみたいに」
ぼくが言うと、母は鼻で笑った。
「あんたらと一緒にせんといて」

駐車場に並ぶ車たち。黒のRX-8、コルトラリーアート、そしてWRX。弟はそんな様子を眺めて静かに言った。

「実家、治安悪ぃな」

治安の悪いぼくたちは、変わらぬ日々を、今日もまた、生きるのだ。

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