立て直せ、人生。

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親が要介護になる確率の高さに驚いた - 親の長生きリスク

親が長生きすることはリスクであると考える。介護問題だ。特に、一人っ子の増えている現代は、皆の人生は余りに脆弱では無いかと思い至り、暗澹たる気分になる。

介護の問題は余りにぼくらの身近に忍び寄り、読めないリスクとしてぼくらにそっと静かに寄り添っている。

親のリスク

人生ってリスクがいくつもあるのだと思う。交通事故や火災、失業に対するリスク。 大体のリスクは発生確率が読めて、それに対するコストも見積もれる。だから、それに対しての備えもある程度行う事ができる。

ここで、親の介護リスクを考えてみる。どれほどの確率なのだろうか。

結婚した場合、65%の確率で親が少なくとも一人要介護?

政府の調査 *1」 によると、65歳以上の17.8%が、75歳以上では23%以上が要介護認定である。

結婚した場合、1家庭に4人の親となるが、さて、この場合に少なくとも一人の親が要介護になる確率を考えてみる。すると、 75歳以上の両親が一人でも要介護になる確率は、65%ほど にもなってしまう *2

義理の親含めて、4人のうち一人でも要介護になる確率が五分五分以上って、結構な確率である。

45歳から55歳は親の介護が悩み?

モデルを設定して、もう少し具体的に想像してみる。両親は25歳の頃に子供を成していたとしよう *3

この場合、親が75歳になるのが、子供が45歳の頃だ。性別を無視して平均寿命を考えると、84歳までのおおよそ10年間、親は要介護の状態に陥る可能性がある *4

つまり、45歳から55歳くらいの間、きっとぼくらは親の介護で頭を悩ませることになるのだ。

現代、初産の平均年齢は30歳程度となっているので、単純に考えると15歳から25歳、子供が中学生から大学や大学院を卒業するくらいの時期と被ることも想像できる。

親が要介護になったときの生活

親の介護リスクって、思いの外影響がでかいと考える。一人当たりの所得の低下が叫ばれるなか、共働き、ダブルインカムが定着しつつある。

ここで少し物語を想像してみる。親元を離れ、田舎を離れ結婚。一人っ子同士で結婚して、子を成した場合。

ここで、子供が高校くらいになり、私立の高校に行かせようとする。ダブルインカムでそれなりの所得を得ていて、順風満帆な人生を送っているかのように思える。

しかし、ここで離れて暮らす親がひとり要介護状態になる。ひと世帯に対して老人4人。誰かが要介護になる確率の方が高かった。

地元に帰る?それは二人ともが職を地元にて探すことになる。というか、地元が別々だとそれは難しいだろう。

介護施設や病院に預ける?ちょっとした手取り *5 を取られ、生活が立ち行かなくなる。

都会に呼び寄せ同居する?片方が時短か何かで世話をせねばならず、どちらにせよ金銭的な問題は起きるだろう。

実際は、親の貯えや年金などがあるだろうし、もう片親が面倒を見てくれるケースもあるだろう。結婚した二人ともがふたりっ子、というのも極端な設定だ。

けれど、それでも、高齢化社会の問題は、ぼくらの近くに横たわるのだと思わざるを得ない。

最後に

これを書いたのは、ぼくの親のことを考えていたためだ。

ぼくの父親は大学に入学する数ヶ月前に脳出血で倒れた。2006年、11年ほど前のことだ。半身不随が残り、家を出歩かなくなった父は認知症を発症、驚くべき速度で進行し、今ではほとんど会話ができない状態だ。

弟は実家に住み、ぼくは東京に住まう。一人っ子ではなく、母が元気なだけマシなのであるが、それでも将来のことを考えると暗澹たる気分になる。

みなさんは、このような問題について、どのように考えているのだろうか。

*1:2018年度版高齢者白書」より。但し、高齢者人口における偏りもあるため、74歳まででは要介護は3%であり、75歳以上であると23.3%となる。

*2:和事象の確率より。P(最低一人の親が要介護) = 1 - P(一人も要介護にならない) = 1 - (1 - 0.23)4 ≒ 0.65

*3:http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2015/27webhonpen/html/b1_s1-1-3.html現在、平均初産の年齢が30歳程度、1980年時点では 26歳程度である

*4:平均寿命より推定。ソースは総務省統計局ページより。 男性が80.79歳、女性が87.05歳であるので、単純に足して2で割るとおおよそ84歳とした

*5:正直相場は分からないが、実質月20万前後という話を聞く。不確定なのでソースは示さない

【ネタバレ】キンプラこと「KING OF PRISM -PRIDE the HERO-」の感想と考察

同じ映画を何度も観るのは、気を違えたものが行うことだと思っていた。 2016年、そんなぼくの理性を奪い、気を違えさせてくれた映画がある。

そして、2017年6月、そんな映画が帰ってきた。その名を、キンプリという。

どんな映画か、という野暮ったい説明はしないでおこう。その説明をするのは、あまりにも難しく、また、その努力をしたとしても、その魅力の1割も伝えられないからだ。

「お願いだからキンプリを観て」

「キンプリを観てくれてありがとう!」

Twitterでは、そんなやりとりが行われているが、それはファン達の自身の表れだ。 説明をするよりも、とにかく一度触れてみてほしい。プリズムショーを味わって、この笑顔を拡げたい……そんな想いからの行動だ。

言おう。キンプリの続編、通称「キンプラ」は、電子ドラッグと揶揄された一作目を上回る、とんでもない作品だった。応援上映含め、5回ほど劇場に通ってキンプリ耐性を作ったぼくでも、劇場で度肝を抜かれたのだ。 泣きそうになった。笑いを堪えて椅子を揺らさないようにするのに必死だった。つい、腕を振り出したくなる衝動を抑えるのに努力が必要だった。

本エントリでは、初めて触れる人に向けての解説はしない。 「お願いだからキンプリを観て」 。今、dアニメストアでは1作目のキンプリが配信されているし、その原作となった「プリティーリズム・レインボーライブ」も配信されている。

今回は、この映画のストーリーの粗筋や考察を、ぼくの思うがままに書き下す。あまりに情報量が多い映画であり、一度吐き出して整理しないと、頭が混乱状態となってしまうからだ。

キンプラの予習にキンプラを観る」。これは、ジョークで言っているのではない。本当のことなのだ。

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