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【ネタバレ】キンプラこと「KING OF PRISM -PRIDE the HERO-」の感想と考察

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同じ映画を何度も観るのは、気を違えたものが行うことだと思っていた。 2016年、そんなぼくの理性を奪い、気を違えさせてくれた映画がある。

そして、2017年6月、そんな映画が帰ってきた。その名を、キンプリという。

どんな映画か、という野暮ったい説明はしないでおこう。その説明をするのは、あまりにも難しく、また、その努力をしたとしても、その魅力の1割も伝えられないからだ。

「お願いだからキンプリを観て」

「キンプリを観てくれてありがとう!」

Twitterでは、そんなやりとりが行われているが、それはファン達の自身の表れだ。 説明をするよりも、とにかく一度触れてみてほしい。プリズムショーを味わって、この笑顔を拡げたい……そんな想いからの行動だ。

言おう。キンプリの続編、通称「キンプラ」は、電子ドラッグと揶揄された一作目を上回る、とんでもない作品だった。応援上映含め、5回ほど劇場に通ってキンプリ耐性を作ったぼくでも、劇場で度肝を抜かれたのだ。 泣きそうになった。笑いを堪えて椅子を揺らさないようにするのに必死だった。つい、腕を振り出したくなる衝動を抑えるのに努力が必要だった。

本エントリでは、初めて触れる人に向けての解説はしない。 「お願いだからキンプリを観て」 。今、dアニメストアでは1作目のキンプリが配信されているし、その原作となった「プリティーリズム・レインボーライブ」も配信されている。

今回は、この映画のストーリーの粗筋や考察を、ぼくの思うがままに書き下す。あまりに情報量が多い映画であり、一度吐き出して整理しないと、頭が混乱状態となってしまうからだ。

キンプラの予習にキンプラを観る」。これは、ジョークで言っているのではない。本当のことなのだ。

以下はネタバレが含まれます

作品構成考察

本作品、視聴すると体感で3時間くらいに感じられる。何故だろうか。単に情報圧縮が素晴らしい高濃度作品……というのはあるが、3本の主軸があるからだろうと考える。

一条シンと如月ルヰ

一本目は、一条シンと如月ルヰのストーリー。一作目では、こちらが主軸となり、ストーリーが動く。

正直言って、キンプリシリーズではこのストーリーラインが中心を貫くと思っていたのだが、結果として後述のコウジとヒロのストーリーに譲ることとなる *1

レインボーライブでも魅力の一つであった、不思議な世界の仕組みを示すのを担うストーリーでもある。

大和アレクサンダーと仁科カヅキ

二本目は、大和アレクサンダーと仁科カヅキの、ストリート系のストーリー。レインボーライブでもあった、ストリート系とアカデミー系の対立の流れを汲むストーリーである。一番ノリノリで音楽を繰り出してくる、脳髄に響いてくる内容だ。

点数とかどうでもいい、楽しけりゃいいんだよ!っていうのが伝わってくる破天荒っぷりだ。観ているだけで楽しい、迫力満点のストーリーだ。

神浜コウジと速水ヒロ

三本目は、神浜コウジと速水ヒロのストーリー。これが、結果として作品の中心を貫くこととなったストーリーである。

こちらは、レインボーライブのもう一つの魅力「人間関係のどろどろ」っぷりを示すためのストーリーであり、とにかく観ていて胸が痛くなる。

ストーリーに絡む謎の考察

上記三本のストーリーが、平行して入り乱れて進み、それが音楽でミックスされる。そんな情報量に脳が付いていかなくなる……それが電子ドラッグたる所以である。

ストーリー構成に絡む大きな謎は、プリズムの使者たちの謎と、ヒロの出生の謎である。

りんねと如月ルヰと一条シン

一旦ぼくの理解を整理してみる。

レインボーライブでプリズムの使者であったジュネ。ジュネは聖に想いを寄せ、表舞台に立とうとした。それは、その世界を滅ぼしかねない罪の行為だ。それを食い止めるために、二人目の使者、りんねが降り立った。りんねは、元の世界に帰り、記憶を喪う。一つの世界には、二人の使者は居られないからだ。

それと同様に、かつてどこかの世界線で、シンは表舞台に立とうとした。そして、ルヰはそれを食い止めた。それは、きっと好き合った関係だったはずだろうのに。 シンは転生をして、人間として世界に生まれ落ちた。ルヰは、プリズムの使者としてその世界に降り立った。

さて、本作の最後では、ジュネは記憶を取り戻した。きっとそれは、自分のためだけでなく、世界のために行動をした(聖のもとを一度立ち去った)からだろう。そして、それはつまり、プリズムの使者の立場に舞い戻ったと言えるのでは無いか。そうなると、この世界に二人のプリズムの使者が居ることになってしまうのではないか。

また、もう一点。ルヰがシンからその力を奪った。それは、シンの表舞台に立とうとする行為が危険なことで、世界を滅ぼしかねないから。だとして、その力を一旦奪いつつも、何故返したのか。それは、やはり、個人的な感情からの行動ではないか。「シンのプリズムショーをみたい」。

だとすると、それはプリズムの女神に背いた行為となる。この世界では、使者は女神に背くことはできないし、背いたら最後、その力は失われ、その世界に長く存在することはできなくなるのだ。

悲しむべきことに、ルヰがこの世界に長く居続けることは、難しいのではないだろうか。

りんねとルヰの関係

プリズムショー中に「はぴなる」という言葉をルヰが発するシーンがあった。 これは、レインボーライブ作中で登場したプリズムの使者、りんねが覚えた言葉である。それを何故、ルヰが覚えているのか。

可能性としては三つある。ひとつ、りんねとルヰが同一である。ふたつ、プリズムの使者とは仕組みであり、プリズムの世界の中では「個」という概念がない。みっつ、他のプリズムの使者らにも、伝わった。

正直、ぼくには判断ができない。けれど一つ言えるのは、記憶が消えたはずのりんねが、ささやかではあるけれど、「はぴなる」という言葉を覚えてくれていた。その事実だけで、ぼくは涙を禁じ得ない。

速水ヒロの父親

ヒロの父親は、神浜コウジの父(丈幸)ではないか、との考察が多く流れている。

ぼくも、この説に納得である。なぜヒロはコウジに異様なまでに惹かれるのか。そこの理由として説得力がある。 また、母親が「今は言えない」と言った理由も、現状を考えてのことだろう。

そして、作中のコウジの不可解な冷たい行動。あれは、このことを法月仁に教えられたからではないだろうか?

小ネタの考察

作中の「オープンソース化に関する〜」

カケルが持っていた書類、「オープンソース化に関する〜」というもの。 これは初見で何だろう?と思ったのだが、きっと採点システムのオープンソース化に関するものだ。

オープンソースとは、プログラムの元であるソースコードが公開されており、無償で誰でも使えるソフトウェアのことを指す。複雑化するシステムで、各社が個別に秘伝のたれでプログラムや製品を作っていると、製造コストが増してしまう。

このため、共通部分を誰でも使えるオープンソースとして公開し、規格化(標準化)したりする。 そして、高付加価値の部分だけ自社内で抱え込んだり、そのオープンソースでシステムを構築する場合のサポート料で儲けたりするかたちだ。

さて、今回は何故これがでてきたのか。これはきっと、プリズムショーの採点システムをオープンソース化することで、不正を働きづらくすることだろう。カケルは、そちらの方面で暗躍して動いてくれていた。

また、このシーンが味があって、「鉄とコンクリート」という古い概念を言っていた親父に対し、オープンソースやビッグデータという今時の最先端な情報技術に長け、それを実践しているカケル。やはり200兆円の息子は伊達じゃない。優秀な十王院カケルのもとで働きたい……。

「魔神英雄伝ワタル」のオマージュ

今作、色々とオマージュがあったのだけれど、「魔神英雄伝ワタル」のオマージュがあったのは不思議であった。

しかし、これはレインボーライブのシリーズ構成に関わり、そして「魔神英雄伝ワタル」の監督でもあった井内秀治氏のリスペクトであるとのことである。

氏は2016年末、キンプラの完結をみることをなく、亡くなられている。

 さいごに

キンプリは、本筋のストーリーだけを書き下すと、コンパクトに纏めることができる。しかし、その全体のストーリーを成す小さなストーリーはあまりにも複雑に織り込まれており、その世界に存在感を与えている。

「プリズムショー」ができてしまう……そんな不思議な世界だとしても、そこで人々は生きているのだ。そこには楽しさもある、苦しさもある。魔法のようなそのプリズムショーは、全てを解決してくれるわけでは無い。ただ、それでも、人々を笑顔にすることはできる。前向きに、笑顔になれば……どんな苦境だって乗り越えられるんだ、努力をしたからこそ、奇跡という名の女神は微笑んでくれるのだ。

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*1:ぼくにとってのキンプラで唯一で一番の不満点は、このポイントである。 これは、レインボーライブでも同様の問題点があったとぼくは考えており、折りをみてこのポイントは批判エントリを書こうと思っている