立て直せ、人生。

人生行き当たりばったりなアラサーが、無事にアラフィフになれるように頑張らないブログ

春の晴れた日なんてきらいだ。

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春の晴れた日は嫌いだ。ぼくは殺意を込めて空を睨む。抜けるような青い空、その空気中にはいかほどの花粉があるか。洗車直後の愛車のボンネットを指でなでると、黄色い粉が指につく。これは、悪魔の粉だ。

実のところ、アレグラを早くから飲み始めるぼくは、普段の症状はひどくない。あさ起きて、洗眼剤で洗えば良いくらいだ。目やにがひどくて眼が開けられないときもあるけれど、そのくらいだ。 くしゃみもあまりない。マスクがなくても、日中は生活ができるくらいだ。ときどき、喉がいがらっぼくなるから、マスクはかけている。

けれど、それでもぼくの花粉への殺意は止められない。なぜか。鼻が弱いのだ。日常生活に支障をきたすくらいに。

朝。起きて顔を洗うと決まって鼻血が出る。

夜。シャワーを浴びると、決まって鼻血が出る。では、と、風呂に入らずに顔を洗っても鼻血が出る。
コナンくんでおなじみの、血液に反応する液体を振り掛ければ、そこいらじゅう青白く光ること請け合いだ。

鼻血は、下を向くと良い。だくだくと流れ出す時は、鼻血に溺れそうになることもあるからだ。下を向いてティッシュをつかみ、鼻血が服や絨毯につかないよう、ゴミ箱の上に顔を突き出す。
ひどいときなどは、止まったり止まらなかったりを数十分繰り返す。また、シャワーを浴びてる時にひどい鼻血を出して、貧血になって倒れたこともある。

それでも、ぼくは春の訪れが楽しみだった頃がある。中学時代、あの子のするくしゃみが、かわいかったから。抑え気味に恥ずかしそうにくちゅん、と顔を隠してするくしゃみに、ぼくは興奮を覚えた。それでも頑なにマスクをしなかったあの子の健気さが、ぼくのこころをくすぐった。あまり共通の話題がなかったあの子と、春は憂鬱だよね、という言葉を交わせるだけで、花粉に感謝した。鼻血を出したとき、心配をしてくれてポケットティッシュを貸してくれたときは小躍りをしそうになった。帰宅後、ハンカチならば洗って返すのだけれど、と本気で悩んだりした。

そんなぼくは、気づくと花粉症のオールシーズンに近い状態になっていた。あの子の苦しむ姿を喜んで見ていた罪、なのだろうか。 きちんとアレルギー反応を調べてはいないが、杉檜以外にもブタクサやイネ科の一部がアレルギーを引き起こすらしく、真冬と真夏以外はほぼオールシーズンとなり、ぼくのアウトドア青春への道は閉ざされた。そしてとどめは、ハウスダスト。ぼくのいる場所なんてこの世にない。あの子との繋がりも、いつの間にか消え失せていた。

好きなあの子のくしゃみを聞かなくなり、代わりにぼくの花粉症が酷くなってからは、花粉シーズンは憂鬱さしかない。電車に乗り込んで、みな大きなマスクで口を覆っているのは、趣なんてない。

ときどきマスクをしていない女の子が可愛いくしゃみをするのを目にすると、あの子のくしゃみをする姿を思い出す。けれど、それから流れた時間を数え、絶望してしまう。

やはり、春の晴れた日なんて嫌いだ。