立て直せ、人生。

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ポケモンGOとぼくと夏休み

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ポケモンの赤緑がはやっていたころ、ぼくたちは小学生だった。

今からちょうど20年前、1996年2月にポケモンが発売された。流行に鈍感だったぼくは、スイミングスクールの更衣室で、ごんぶとな初代ゲームボーイを抱えた子供たちが、同じようなゲームをやっている様子をみて、そのゲームのブームを知った。

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「え、ポケモン知らないの?みんなやってんのに」

そのときはすでに6月ごろ。皆は4月ごろからポケモンマスター目指して修行に邁進しているとのことであった。

当時、ぼくは年上の従兄弟の影響で、初代ファミコンとセガサターンくらいしか知らず、ゲーム情報に疎かった。 それに、ジャンプは読んでいたけれど、コロコロなどといった雑誌を読んでいなかったので、ビッグウェーブに乗り遅れるきらいがあった。 だからぼくは焦った。 次世代機であるニンテンドー64を、発売日に買ってもらう約束を母としていたが、どうにかしてポケモンを手に入れる必要があった。

そんなとき、末の孫という立場は便利である。みんな持っている、ぼくだけ仲間はずれになっている。そう幼い孫が言えば、買い与えない婆はいない。ぼくは、「ポケモンが欲しい」ではなく、「ばーちゃんに会いたい」と母に言って祖母に会い、ばーちゃんと小一時間お茶を飲むことにより、発売されたばかりのゲームボーイポケットとポケモンを手に入れた。時給にして1万円ほど。今のぼくよりよっぽど高給取りな8歳のぼくだった。

その前の年の夏休みまで、自転車のかごに虫篭と水鉄砲をいれて走り回っていたぼくらは、誰かの家に集まってポケモンをした。林の中を子供向けマウンテンバイクで走破してみたり、がけを下り降りてスポークを折ったりしていた悪がきのぼくたちだったけれど、その年の夏休みはひどくおとなしく、大人たちは「ゲームに夢中ってのは気になるけど、危ないことしないのは安心だ」というような塩梅であった。

ポケモンはコミュニケーションだった。好きなポケモンと好きなパーティーを語り合った。知らない人とでも、ケーブルがあって対戦をすれば、すぐに仲良くなれた。

ポケモンはヒエラルキーだった。珍しいポケモンを持っていると英雄だったし、正規のミュウ*1を持っている人はエリートだった。貧民は、ゲームのレジスタの値を書き換えるべく、セレクトを連打したり、道具の13番目に何をおくべきかを夜を徹して考えた。

バグという言葉はポケモンで知ったし、通信ケーブルを交換中に引っこ抜く、ポケモン増殖技がなぜ有効なのか?を考えてコンピュータの動作原理に触れた。隅々までゲームの中を探索し続けるぼくらは、ときに珍しい道具を手に入れる代わりに、半身ともいえるセーブデータを喪うことも多々あった。バグ技は命がけだった。なんとかゲームが動いているときには、弟のカセットにポケモンを退避させたりした。確認してみると、ミュウがコイキングに戻っていることも珍しくなかった。

そんななか、「うち、インターネットがあるから」と言って感熱紙を見せびらかせたアイツは、安全なミュウの作り方を親しい人にだけ伝えた。当時、Windows95が登場しパソコンが普及し始めた頃。パソコンは限られた家にしかなく、インターネットに触れられる人は少なかった。「インターネットには、攻略本なんかに載っていない裏技がたくさんあるから」そう言ったあいつは、ヒエラルキーのトップに躍り出た。

ぼくはそいつと仲が悪く、ミュウの作り方は教えてもらえない。そんな者同士で公園に集まった。夏休みの終わりにもなると、「いつものあの子の部屋」に集まるのも気が引けていた。親が、「xxちゃん家にあまりご迷惑掛けちゃだめよ」と言ったのが大きかった。

幸いなことに、ゲームボーイは外でも遊べた。駄菓子屋で100円アイス、ジュースを買い、木陰のベンチでポケモンをやった。レベル上げに飽きたら、別のゲームをやってリフレッシュした。ゲームボーイの電池が切れたら、自転車に乗って遊んだり水鉄砲で遊んだりした。電池を買わなくても済む充電池は憧れだったけれど、そのお金があったら、中古のゲームの一本を買いたかった。

ゲームボーイはどこに行くにでもぼくたちの傍らにあったし、相棒のポケモンも、いつだってぼくたちの手の中に呼び出すことができた。

2016年7月、ぼくらはまたポケモンマスターを目指す。手の中のコンピュータはゲームボーイからスマートフォンへ。グラフィックも粗いドットから美麗な3Dへと新化した。あの頃は、ぼくらがあちら側に行く必要はあったけれど、20年経って、ポケモンがぼくたちの世界にやってきた。

若手社員の人たちが、あの頃の思い出を語りながら歩き回る。あの頃は半そで半ズボンであったが、今はスーツ姿だ。

「え、まだポケモンGOやってないの?みんなやってんのに」

昼休み、ぼくはそんなやりとりを聞いて、配信を知る。iPhoneを取り出してダウンロードボタンを押した。

ポケモンが流行るころ、ぼくたちは社会人になっていた。

あの頃と変わってしまったところも多いけれど、変わらないところだってある。ぼくたちにまた夏休みがきた、そんな気がした。

*1:コロコロの読者プレゼントなどで配布