立て直せ、人生。

人生行き当たりばったりなアラサーが、無事にアラフィフになれるように頑張らないブログ

15年後に仕事が残るかなんてどうだっていい

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かつて蒸気機関がぼくらの仕事を奪ったように、コンピュータ(計算機)がぼくらの仕事を奪う。仕事が奪われるまえに、機械を打ちこわさなければならない。

本当だろうか?バールのようなものを抱えて立ちつくし、ぼんやりとそんなことを考える。

科学技術の発展

近頃近い未来と過去の科学技術について考える。

僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもう アポロ11号は月に行ったっていうのに

ポルノグラフィティが名曲「アポロ」を世に放ってから16年。あの頃から何が変わっただろうと首をぐるりする。

テレビもパソコンもインターネットもあった。車は相変わらず地べたを走っている。

ライト兄弟による飛行機が初フライトを果たして10年たらずで起こった第一次世界大戦は飛行機が活躍した。そして1939年、ジェットエンジンによる初飛行が実現される。

コンピュータに関しては、第二次世界中の1946年、かの有名な電子計算機ENIACが生まれる。それから23年後の1969年、アポロは月に降り立った。

現在のインターネットの前身となるARPANETも、初の通信に成功したのが1969年なのであった。

こうしてみてみると、1900年代における工業的技術力の発展具合は異常とも言えるほどであると感じる。一方、ぼくが生まれてからのおおよそ30年ほどを振り返ってみると、いまいちパッとしないような気がしてしまう。

「いま」は未来なのか

合成音声とリアルタイム演算のバーチャアイドルがテレビの中で踊るし、手のひらのぺかぺかと光る薄い、高性能コンピュータを片手に、世界と繋がりながらラーメンをすする……と書くと完全にSF小説の世界なのである。ブレードランナーに出てきそうなシーンだ。

しかし、中にいる僕たちはそれが普通に感じてしまっているし、そうなるだろうな、という予感があるからこそ、驚きもないし日常になってしまっている。

だから、ぼくは、かつてのような技術の発展の中を生きることができた、夢のある時代を生きた人たちが羨ましく感じる。

いまだって技術は確実に発展してることは「理解」はしている。光るこんな薄い板で、瞬時にこんなテキストを世界に公開することができるし、映画だってその場で取り寄せて観ることができる。夢のような世界だ。

しかし、経済だって技術だって、あの頃の方が夢があった楽しかったと、物心ついた時から刷り込まれていた。この先はもう沈む一方だからと聞かされていた。だから、ぼくはどうしても「未来と夢を過去に見てしまう

世界の変わる瞬間について

シンギュラリティ、技術的特異点に想いを馳せる。

特に最近では、AI(人工知能)において使われる。人工知能が、自分より優れた人工知能を生み出すことが可能になった瞬間、人間を越えることが確定する。これをシンギュラリティと呼ぶ。

ぼくは、その特異点を迎え、世界が一変するさまを見てみたいのだ。

無くなる仕事、残る仕事

人工知能が発達すると、短期から5年〜15年といった短期から中期的にはデータ分析や人工知能の知識、スキルが強みになると予想される。

しかし、一方15年以上の長期的には、それらは人工知能に取って代わられるだろうし、人間にしかできない大局的な判断、もしくは「やっぱり相手は人間がいい」という、人対人のコミュニケーションが残ると考えられる*1

どうせいっちゅうねん、である。今勝ち組と言われる仕事が、この先遠くない未来で突然機械に取って代わられる可能性があるし、今負け組とすら言われる仕事が残るだろうということだ。

未来なんて予測できない

何かの専門になりたくて、そのことを掘り進めた専門家。大変に重宝されるはずのその人材が、ある日「機械でいいじゃん」ってなる世界の恐怖。

関係のない仕事を、別の分野の広い範囲の知識をたくさんつけ、全く別のアプローチで仕事したり発想する方が、まだ人工知能には勝ち目がある。あるいは、人工知能が人間に取って代わった分野から脱出しやすくなる。

それこそ、人工知能が運転する車よりも、人が案内するタクシードライバーの方が高級だとして、一部生き残るかもしれない。高等教育を受けた人間の専門分野が軒並み人工知能にやられるかもしれない。

確かに、中途半端な大学出た人にはタクシードライバーは適職かもしれない…。 - かくいう私も青二才でね

このエントリを読んで、少しズレた感想かもしれないけどそう思う。

ぶち壊せ、世界を

活字拾いの人や電算写植機のオペレータなどの仕事がなくなってから久しいけれど、それ以上の変革がきっと来るのだろうと感じる。 ここ数十年、生活を激変するような技術革新が少なかったぶんだけ、そのインパクトは絶大だろう。

それが「何か」が分からないのが恐ろしく、そして楽しい。

単に、この鬱屈した世界に飽いたぼくの個人的な感傷かもしれない。けれど、それでもぼくは強く願う。まだ、作りかけの、概念的なその「バールのようなもの」が強く強く振り下ろされ、「過去」をうちこわしてくれることを。

ぼくは、それが破壊される音を間近で聞きたい。

関連エントリ

コンピュータで「知能」は作れる!人工知能入門 - 立て直せ、人生。

*1:「人工知能は人間を越えるか」松尾豊