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実写映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は、子供時代をまた拗らせそうになる傑作だ

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少年時代、想いと行動とがちぐはぐとしたり、自分の想いと行動とが、一致をみないことが多々ある。 思い返してみると、どうしてああいう行動をとったのか、どうしてそうなったのか——自分でも理解に苦しむことがある。 けれど、それを含めて、きっとそのときの「ぼく」なのだ。それが、今の「ぼく」へと続く道なのだ。そういう考えに思い至る。

「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」は、そんなこそばゆい、ノスタルジックな気分にぼくらを誘ってくれる。そんな作品だ。

この作品は、2017年、新房総監督の手によりアニメ映画化されるが、元々の原作は、あの実写映画監督、岩井俊二監督の作品が元である。

岩井俊二監督作品は、とにかく少女が美しく、そして可愛い。本作品でも、その手腕は確かに発揮されていて、14歳の美少女、奥菜恵演じる「なずな」を中心に物語は進む。

「どうしてそういう行動をとるのだ!」「ああ!わかるけど、わかるけどさぁ!」

好きな女の子相手なら素直に行こうよ、なんでそこで相手も自分も悲しませる行動を取るのだい?かつて自分にもあったはずの小学生の頃、その頃を思い起こさせる彼らの行動は、けれど今大人になって観ると全身をかきむしりたくなるようなものばかりだ。劇薬みたいな作品なのである。

ぼくにそんな小学生時代があったかって?ないさ。ないけれど、この作品は、そんなぼくにすら、そういう思いを抱かせ、なかったはずの甘酸っぱい子供時代を幻視させる。 この作品は、ぼくらの願望だ。子供時代、可愛い女の子と楽しい思い出があれば良かった。凸凹とした、お馬鹿グループにいたけれど、それでも憧れた女の子はいた。そんな記憶は、誰にだってあろう。この映画は、そんな記憶と重なり、ぼくらの前に理想の物語のように立ち上がってくる。

今だって、子供の頃だって、「あのときああだったら」って思うことは沢山ある。この作品ではそのときのifが、二つの結末と共に鮮やかに描かれる。はっきり言って、この作品のオチも物語の流れもは目新しいものではない。好きな女の子と、ちょっぴり大胆な行動をしてみる……ちょっとぴり夢見すぎてるけど、それでも現実世界であり得そうな物事と、その帰着である。派手さなどはない。

それでも、何故だかぼくはこの作品に心惹かれてしまうのだ。

この作品は、1993年のフジテレビの「IF もしも」という、オムニバス形式のテレビドラマの一作品として放映された、実写作品である。そしてその二年後の1995年、編集版が劇場作品として公開された。 そして、岩井俊二監督の出世作となる。

あらすじ

小学生の典道と祐介。彼らは同級生の少女、「なずな」が好きだった。しかし、なずなは両親の離婚に伴い、二学期を前にして夏休みの間に転校することが決まっていた。

そんな両親に反発するなずなは、プールでの競争をする典道と祐介をみて、勝った方と駆け落ちをしようと密かに考える。

どちらが勝つのか。その勝負の後から物語は二つの結末を迎える。

以下は作品のネタバレを含みます 。……ただし、新房総監督のアニメ版が、この通りの筋かどうかは不明。予告編を観ると……これを踏まえたうえで、大きな話を仕込んでいそうな……。

物語の魅力

祐介はなずなを裏切りなずなを待ちぼうけにする。典道はそんな待ちぼうけのなずなを見かけ、「君が勝つと思っていたのに」なずなにそう言われる。

典道は「俺だったら絶対に裏切らない」と宣言する。そうして、もう一つの物語、典道のifの世界では、なずなを裏切らずに寄り添う。

結局のところ、典道が主人公の物語として、この作品は始終一貫している。祐介側のifの物語は、単なる前座だ。「なずな」を悲しませる祐介の行動は、けれども小学生らしい照れ隠しの行動にみえる。一方、本筋とも言える典道の物語の、駆け落ちの真似事の方が、小学生らしからぬ行動だ。

では、その典道にそんな行動をさせたのは何か。「なずな」である。なずなは、とにかくこの物語の中心で不思議な存在として在り続けた。なぜ、駆け落ちの途中まで行ったのち、踵を返すように町に戻ったのか。なぜ、自分はもう居なくなっているはずなのに、「また二学期で会おう」だなんて典道に言ったのか?かくして、周りはそんななずなに振り回される。

ぼくはこう考える。このフィルムは、常に男子側の、典道側に寄っているのだ。単純な男子、早熟な女子。男子からみたら女子は不思議な生き物で。憧れてしまうような可愛い女の子であれば、もっと理解不能な存在だ。

その対比の描写は見事成功し、子供の頃特有の女子と男子の壁が見事写し取られた。ただ、特筆すべき点が、単に子供時代を描くだけでなく、きらきらとした部分をうまくすくい上げ、スマートな映像作品としてこの作品は仕上げたところだ。「ちょっと男子〜」のような野暮ったさというものがないのである。

フェチズム的な映像と、なずなの可愛さ

さて、岩井俊二監督の映像って、とにかくフェチいと思っている。ただ、画面の美しさと落ち着いた運び方で、下品にならないようまとめあげているのだ。いくつか、ピックアップしてみたいと思う。

プールぎわで女の子が片足を突っ込んで寝そべっている。その後、その子に顔にホースで水をかけられる。

女の子の首筋を這う蟻を、「取って」と言われて取ってあげる。

浴衣を着た女の子の着替え。男の子(典道)は、壁の向こう側でその着替えを待ち、衣擦れの音を聞きながら、脱ぎたての浴衣を持たされたり。

夜、女の子と学校に進入して、服着たままプールで泳ぐ。女の子は、べったりと髪を濡らして、水面下から顔を出す。

男の子たちを始終振り回す女の子は、当時14歳の奥菜恵が演じる。「ああ、こりゃ典道たちも惚れるよな」と納得いく可愛らしさ。ただ、純粋な、幼い可愛らしさと、どこか妖しい可愛らしさが同居していて、しぜんこの子に視線が吸い寄せられてしまうのだ。

この作品のつくりについて

映像のつくりかた

この作品は、色調を編集してフィルム風に見せる、当時としては珍しい手法を取り入れたりもしている、意欲的な作品だ。

2014年の監督トークショーによると、当時のテレビでは、ブラウン管テレビが大多数なこともあり、利用できる色の範囲が非常に限られていた。それとの戦いが難しかった……とのことである。

その結果、テレビドラマとして作られたとは思えない、独特の質感があり、ノスタルジックな気分に浸れるフィルムに仕上がっているのだと、ぼくは感じる。

キャストたちのつくりについて

この作品では、学年は明言されていないが、同学年の小学生たちが主人公である。

しかし、実際に演じた子供たちは、小3から中3まで、歳をバラバラだ。大人だと、見分けがつかないから「漫画的に」したのだという。ただ、子供達の演技は演劇的でない、普段の早口の喋り方にというのは、変わらずに。

なるほど、子供の頃にはちょっとの差を大きく感じたものだ。しかし、大人になってもそれを感じとるには、それくらいの大げさな演出が必要なのだ。

さいごに

「もしあのときああだったら」と考えることは、誰にだってある。そういう後悔をしないよう、いつだって全力で生きるべしなのだ、そんな風に言う人は多い。

けれど、ぼくはそう思わない。常に全力疾走なんて、人間には出来ない。息が切れてしまうからだ。

だけど、いつかの未来振り返って、「ああ、あのときあんな風だったよな……」と懐かしめる程度には、しっかり生きていきたいなってぼくは思うのだ。

BDについて

この作品、アニメ映画化を記念して、BD化されている。ただ、残念な点として、映画作品として公開された作品であるが、SD画質のアップコンバートである。解像感はない。これは、ビデオ編集によって作られた映像作品だからだ。

ただ、色調は綺麗に整えられているし、「少年たちは花火を横から見たかった」という、6年後に子供たちが撮影地を訪れるドキュメンタリー映像も一緒に付いてくる。元々は、別の映像作品として売られていたものだ。

また、放送直後から問い合わせが多々あったという、印象に残るサウンドトラックも付いてくる。そして、書き込みありの縮刷脚本までついてくる。

豪華版、という商品名にしては手頃な価格で、短い本編以外に沢山のものがついてくる。おすすめ商品だ(これ受け取るために会社早引きした)。