立て直せ、人生。

人生行き当たりばったりなアラサーが、無事にアラフィフになれるように頑張らないブログ

天国の友人よ、久々に切れちまったぜ。屋上へ行こうぜ

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人が本当に死ぬのは、その人のことが話題にすら上がらなくなることなのだとぼくは思う。彼が死んだという知らせを聞いたのは、ぼくが大学4年生の頃だったと思う。

ある日珍しく母から電話が入って、こうぼくに告げた。

「ゼンくん、亡くなったってほんと?」

久々に聞いた名前に、懐かしさを覚えると同時に、えも言われぬ後悔の念が押し寄せてきた。

ゼンは、変わりものだった。ゼンとの最初の記憶は、「うちでゲームやろうぜ」と声をかけられたことだ。ぼくが小学2年の夏休み、団地に引っ越してまもなくだ。ゼンは驚くほどのっぽの細身で、まるでウマみたいだとぼくは思った。

ゲーム?スーファミ?とぼくがたずねると、ゼンはマッキントッシュって知らないのか?とニヤリと笑ってぼくをみた。時は1995年、世間はWindows95が発売間近と盛り上がっていた。

ゼンの家のリビングの片隅には、どこかおしゃれな雰囲気を漂わせる白いコンピュータが鎮座していた。ゼンはCDを取り出し、「これはCD-ROMっていうんだ、これにゲームが入ってるんだぜ」と自慢げにぼくに説明した。ぼくは、プレステやサターンみたいなものだろと返してみたものの、雑誌でしかCD-ROMを見たことがなかったし、CD-ROMには裏面が黒色のものとそうでないものがあるのだな、と眺めていた。

ゼンは不思議な、タワーを作るようなゲームをやっていた。エレベータをつくり、エスカレータをつくり、人々が住まう。まるで積み木みたいなゲームなのだけれど、どうしてか心惹かれてなかなかやめどきが見当たらなかった。いままでやったゲームとは違う、不思議なゲームであった。

ぼくがそんな風にゼンの家に時折お邪魔するようになったある日、ゼンはぼくにこう言った。

「エロいゲームあるぜ」

それが、ぼくのエロとの邂逅であった。ゼンの家は両親も兄弟も出かけていた。チャンス、ゼンはそういって二階からディスクを持ってきた。

「兄貴が持ってんだよ」

そういってニヤリ笑うゼンの横顔は、大人びて映った。

ゲームの内容は覚えていない。ただ、その日、親には言えないゲームをした、という記憶だけが残っている。「ボッキ」という言葉を覚えたのもこの時だった。

その後も、ゼンはぼくにとって、エロの伝道師であった。団地の裏山にある、なぜかエロ本が溜まっている秘密の場所を知っていた。雨が降っても濡れない橋の下に、たくさんのエロ本を隠し持っていた。

アンダーヘアーが生えたのもゼンが一番だった。社会の授業で習った偉人たちの、エロエピソードをたくさん知っていた。無駄にギリシアやヨーロッパの世界史に精通していたゼンは、そこいらの教員よりもよっぽど詳しかった。

小学校から中学校に至るまで、ゼンは「エロい変人」として名が通っていた。けれど、ユーモラスなゼンは、ガキ大将からネクラボーイまで、皆から愛されていたのであった。

そんなゼンとぼくとは、別々の高校に上がることとなる。受験がおわり最終登校日のとき、満面の笑みを浮かべてぼくに言った。

「お前はすごいな、合格おめでとう」

普段のスケベな笑みと違う、透き通るような笑み。ぼくは、お前の方が、と言いかけて飲み込んだ。事実、ぼくはゼンを尊敬していて、そのことを伝えたいと思っていた。だけれどどうしてか、そのときにそんな言葉を発してはいけないような気がしたのだ。

高校に上がった後は、次第に疎遠となった。別に避けていたわけではない、高校が違うと疎遠になる、それだけのことだ。ただ、年賀状だけは交わし合っていた。ゼンは毎年、手描きの絵で年賀状を描いていた。下手くそなんだけれど絵を描くのが好きなんだ、自嘲気味に笑うゼンの姿を年に一度だけ思い出した。

そうして大学生になると、ぼくは年賀状も書かなくなっていた。けれども、数人だけ年賀状を送ってくれる人がいた。ゼンはその一人だった。

ゼンの年賀状を最後に受け取ったのは、大学3年の正月だ。いつもの下手くそな年賀状、その隅に、一言気になる言葉が書き付けてあった。

「おまえはすごいよ、本当に」

どうしてか、その言葉が引っかかった。けれど、ゼンのメールアドレスも知らず、連絡を取ろうにも取れなかった。実家の場所は知っていたが、10年ぶりに押しかけるのは憚られた。

そして一年後、ゼンの死を知ることとなる。

事実確認のため地元の友人たちに連絡を取ってみるが、しばらく会ってない連絡してない、そんな人ばかりだった。ぼくは絶望を覚える。ぼくの母も、友人たちも、同じ団地に住んでいるのだ。それなのに、だれ一人として、ゼンが亡くなったかどうか、分からないのだ。

そんな折、祖母が久々にゼンの祖母を見かけ、話を聞いた。曰く、自ら命を絶ったため、密葬であったと。あのゼンが?悩みもなさそうに貪欲に生き全力で生きるあいつが?

ゼンは三人兄弟の真ん中だ。上は東大下は京大。とてつもなく頭の切れる兄弟に挟まれ、悩んでいたのだという。ぼくは信じられなかった。勉強や学歴など気にもかけないようにみえたし、脇目も振らず自分の興味に一直線と映っていたからだ。

けれど、祖母の次の言葉で頭を殴られたような気分になる。

「あんたのこと、すごいなぁって言ってたんだってさ」

亡くなる少し前、ぼくが関東の大学に進学していることを聞きつけて、そう言ったのだという。進学校に行って、関東に行って、あいつは本当にすごいんだ、と。たぶんそれは、あの最後の年賀状が届く少し前のことだ。そうだとすると、あの年賀状のメッセージは、もしかして。

ゼンが亡くなって七年が経った今年、小学校の同窓会の連絡がきた。クラスの同窓会、全員に連絡を取るのだ!とのことである。地元の奴らは皆結婚し、子供をもうけていた。半額惣菜を漁りながら流れていくグループLINEに、ぼくは少しの焦りを覚える。

子供自慢の話の合間に、様々な人の名前と近況が流れてゆく。しかし、「ゼン」の名前は流れてこない。あいつは別のクラスだったか?と思ったけれど、名簿を見ると確かにいた。不思議と怒りが沸いてきた。同級生どもに対して、ではない。ゼンに対してだ。

あれだけ強烈だったお前が忘れられてどうする?馬鹿なことしかしていなかったお前が、今18年ぶりのこの場所に居なくてどうする?誰が馬鹿なことをするんだ?何故お前は明瞭はっきりとぼくに悩みを言わなかった。なぜ、なぜ、なぜ!

いいさ、そうぼくは一人ごちた。同窓会に行ったら、お前の名前を少しでも出してやる。お前は忘れられようと、世間からひっそりと消えようとしたのかもしれない。いいさ、ぼくが忘れさせてやらない、お前を本当には死なせてはやらない。お前の話題を同窓会で少しでも出して、バカな思い出話で笑ってやろう。空気が読めないって?それでよい。自己満足の自分勝手?結構。一緒に酒飲む前に、手前勝手に消えやがったお前のことは、絶対忘れてなんてやるものかよ。覚えていやがれ。

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