地元の友人からの年賀状を受け取るのがつらい
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いつも年賀状は、明るい残酷な知らせと共にやってくる。
正月、帰省し実家のポストを開ける。差し込まれた年賀状の束のなかから、三枚だけ、自分宛の年賀状を抜き取る。そのなかに、あの子からの年賀状が含まれている。
何年か前から年賀状のやり取りはほとんど途絶えた。特に理由はなく、卒論だとか就活だとかが忙しくて、数日後回しにしたつもりが、そのままふつっと途絶えたのだった。
子どもの頃は、祖母や両親をみて、たくさんの年賀状をやり取りすることに憧れていた。 結果、子供にしては多く、一番多い時で50枚ほどは刷っていたように記憶している。
アドレス帳をExcelで管理して、宛名をWordで自動差し込み印刷。送り先が増えるのが楽しく誇らしく感じていた。しかしそれだとあまりに機械的で礼を失すると感じ、一言、手書きで添えていた。
しかし、高校も卒業の頃になると、ほとんど事務的にこなすようになり、自分に課した一言も、書かなくなっていた。 そうして、ぼくは、ある年から年賀状を送らなくなる。
そんな、非礼極まりないぼくにも、3通だけ年賀状が届く。地元の友人たちだ。そしてその中に、かつて憧れたあの子がいる。
「未だに引きずっているのか、何年経つ」
そう、友人になじられることがままある。今では吹っ切れたつもりだ。けれど、そうは見えないんだろう。彼女と連絡が疎になって一年後、結婚の報告。そして今年、出産の報告。彼女とお子さん、そして旦那さんの幸せそうな写真がきれいに彩られ、刷られている。
ぼくは、それを眺めて深く息を吐き、そして「要対応」箱に入れる。去年の彼女からの結婚報告の年賀状に重ねて。
東京から地元に帰ると、そこで友人たちと酒を飲み交わす。地元に残った者、帰ってきた者、帰ってこない者。かつて、子どもの頃は同じような価値観を共有していたぼくらだけれど、三者三様、価値観が変わってきている。望もうと望まないとに関わらず。
結婚がしたいのか、結婚をしなければならないのか。家を持ちたいのか、持たなければならないのか。
それぞれに、それぞれの焦りがあった。地元に残り続けることの焦り、地元に戻り価値観が合わない焦り、地元の友人たちの報告を、遠くからインターネット越しに「いいね!」するだけの焦り。
思い思いに話をしたのち、しばらく沈黙があたりを満たした。そんな中、誰かがポツリ、ひとこと呟いた。「しんどいよね」。その言葉は、しばらく宙に留まった。
ぼくらはきっと不器用だ。似た者同士なのだ。慎重になったつもりで、考えすぎて動けない。無駄に考えて、自家中毒に陥る。案ずるより産むが易し。そういったぼくの言葉に、友人は「産むこともできないし、産ませる相手もいないからこそ悩むんだけどな」と言って笑った。
他人よりも遠いのが自分自身。自分のことこそ分からないとは言うけれど、逃げてばかりでは分かるものも分からない。 たまには向かい合わねばなるまい?
ペンをとった。年賀状に向かい合った。おめでとうと言葉を書いた。ポストに投函するとき、何かが胸を貫いていった。その穴を心地よい冬の風が吹き抜けていった。
そうして、まだぼくは、痛みを感じられるということを知るのだ。