新海誠 詰め合わせみたいな『君の名は。』青春拗らせが観て死にそうになった
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ジェットコースターみたいな106分。笑って泣いて、ハラハラして。こんな素晴らしい作品を劇場で観られたことを、ぼくは感謝する。
本当は金曜日に仕事を早退して観たかったくらいだけど、我慢した。そして、新海作品の聖地である、新宿のTOHOシネマズで観た。東京屈指の劇場のサイズだったが、満席だった。
ぼくはその判断を正解だと思った。
美麗な映像が音楽PVのように流れてゆく。圧倒的な大きさのスクリーンに、飲み込まれるような映像。ぼくは、途中から身じろぎすることもできず、スクリーンに目が釘付けになっていた。
新海誠総決算!のように、あれもこれもと欲張って突っ込まれたものたち。感情はジェットコースターのように上下左右に揺さぶられ、鑑賞後身体に力が入らなかった。汗ぐっしょりで、鳥肌状態。
直接的なネタバレは避けています
小説版のレビュー・感想はこちら
コミカルな展開から引き込む『新海ワールド』
東京住まいの男子高生「立花瀧」と、田舎町に住み神社の巫女をやっている女子高生「宮水三葉」。対照的な2人の身体が入れ替わり物語の幕が上がる。
女の子の身体に入った男の子は胸を揉んでみるし、男の子の身体に入った女の子は股間を押さえて赤面する。
「お前は誰だ」
不定期に入れ替わる現象に翻弄されつつ、それぞれの人生を壊さぬよう、メモなどでやり取りし合い、うまく生活をしてゆく。そんな、とても近くてすごく遠い距離の2人は、徐々に心通わせ打ち解けてゆく。
テンポよく進む2人の物語。周りの友人たちとの掛け合いも心地よく、一気に作中の世界に引きずり込まれてゆく。これまでの新海長編にはないポップさで、劇場のなかでも幾度か笑い声が上がりつつ、物語はドライヴする。
そして、作品は音楽のように変調する。
ある日入れ替わりが途絶え、瀧は三葉に会いに行くことを決意。記憶の中の風景を頼りに、その場所を探す。そこで知る真実とは……。
ごった煮『新海誠』
短く感想をまとめると、次のようなものが挙がった。
「前向きな秒速5センチ*1」「新海誠が《そうだよぼくは拗らせてるんだよ〜はは〜!》とパンツ脱いだ感じ」「全部入り新海」。
過去の新海作品をみていると「こうまとめてきたか……」となる。田舎と御神体の描写は「星を追う子ども」、都会の描写は「言の葉の庭」「秒速5センチメートル」。コミカルな描写は「クロスロード」。SF設定まわりは「雲の向こう、約束の場所」。それらのエッセンスがギュッと濃縮され、綺麗に配列されている。
セルフパロディを意識したシーンもあり*2、いろんな方向性の新海節をこの一作で味わえる。
近くて遠い2人は
入れ替わるくらいなんだから、2人はもうありえないほどに距離は近い。お互いがお互いの身体に入れ替わって、それぞれの人生に直接関与する。
好きって、友情って、愛情って、相手の人生に関わることだ。お互いがお互いの人生に関わって影響を与えて、時を重ねてゆく。 身体が入れかわる、だなんて強烈な関わり方をすれば、それはとんでも無い強烈な関わり、「縁」だ。
しかし、この作品で描かれる関わりは、とても遠くもある。お互い面と向かって話すことは無く、メモなど間接的なやり取りばかり。その本人を作り上げた「環境」に直接関与してるっていうのに、その中身とは直接会うことはなかった。
通常の人との繋がりとは真逆で、大きな歪みだ。体の入れ替わりという密な関わり合いをしていたから、その他の 「 距離 」にはなかなか気づかない。
身体の入れ替わりが途絶え、やり取りができなくなってから、そのことに気づく。大切なものほど、その愛おしさに気づくのが遅れてしまう。 一番近いはずの自分だって、その感情については誰かに指摘されないと往々にして気づけないものだ。
このあたりの距離の話については、新海誠愛が迸る、けいろー氏の語りが参考になる。
新海誠作品の残酷さ、すばらしさって物理的、精神的な距離とその隔たり、すれ違いだ。観客側は「ああ……だからさ……そこで!」って俯瞰視点でハラハラされられる。そして音楽と映像があわさり、散文詩的なつくりが観客の気持ちを一気に引き込んで行く。
これまでの新海作品との比較
けいろーさんも書いていたけれど、「秒速5センチメートル」から9年ぶりくらいに一つの答えが提示されたとぼくは感じた*3。「秒速5センチメートル」までの流れから、期間を置いて作成された「星を追う子ども」で正直迷走しているのかな、という印象を持っていた。
しかし、「言の葉の庭」「だれかのまなざし」を観るにいたり、「文学っぽさ*4」と「エンターテイメント性」の両立を目指している様を目の当たりにした。また、「クロスロード」では、「とらドラ」「あの花」の田中将賀氏のコミカルで可愛らしい絵が新海作品として放たれて、「ああ、次くるものはヤベぇものになりそうだな」と感じざるを得なかった。
その結果が、「君の名は。」である。想像以上であった。
スタッフロールの感想
この映画のスタッフは、びっくりするぐらい豪華だ。 黄瀬和哉氏、沖浦啓之氏、松本憲生氏、橋本敬史氏、田中敦子氏などなど。
黄瀬和哉氏は劇場版パトレイバー作画監督として有名、沖浦啓之は「人狼 JIN-ROH」の監督で有名。二人とも、IGのスーパーアニメーターとして押井守作品によく参加している。
松本憲生氏はノエイン、鉄腕バーディー、NARUTOの本気回などなど、多くの「作画アニメ」に参加している。橋本敬史氏はエフェクトアニメーターの第一人者、エフェクトアニメがあるところには橋本の影有り、だ。モノノ怪や空中ブランコといった作品のキャラクターデザイン、総作画監督なども担っている。
田中敦子氏は、ジブリ……というか宮崎駿の作品に多く参加し、カリオストロの城のルパンが屋根を走るシーンや、もののけ姫でサンの母代わりの犬神の首が動き回るシーンなど、重要なシーンを担当している。また、ルパン三世の風魔一族の陰謀を観たことがある人であれば、あのカーチェイスシーンといえば通じるだろう。
興味があれば、これらの人の名前で検索してみると、どのくらい凄い人たちなのか分かって貰えると思う。
そして、ぼくはテロップに現れた田中将賀と岩井俊二の名前に、ただならぬ匂いを感じてしまう。
新海誠と田中将賀氏
新海誠監督は田中将賀氏にメロメロで、2014年の新海誠作品オールナイト*5で田中将賀氏とイチャイチャして「また一緒に仕事したいんです」と熱烈なラブコールを送っていたことが印象に強い。 当時のメモを見返そうと思ったが、次の一行だけが書かれていた。
新海監督(泥棒キャット)→将賀作画監督(あの花/とらドラ)←相思相愛→長井監督(あの花/とらドラ)
当時すでに決まっていたのか、あるいはその後決まったのか。それは分からないけれど、想いが遂げられて良かった。
新海誠と岩井俊二
また、「花とアリス」で有名な岩井俊二監督と新海誠のオールナイト*6では、お互いの作品を褒め合う様子がただならぬ空気を漂わせて、割って入れない趣であった。
スペシャルサンクスに載っていたその名前、一体何に対してスペシャルなサンクスなのだろう、とちょっと妄想してしまう。
なお、新海誠監督の作品が好きであれば、岩井俊二監督の「 花とアリス (実写)」とその前のお話になる「 花とアリス殺人事件 (アニメーション作品)」は気に入る気がする。
特に、アニメ好きなら「花とアリス殺人事件」は抑えておきたい。日本のアニメーションで恐らく始めての4K制作で、カメラ撮影したものを全てCGで起こし、アニメーターが修正していくという狂気じみた作りをした作品。地味な日常を描いた作品ではあるけれど、青春アニメ作品としてはできすぎた逸品だ。
さいごに
劇場、色んな意味で泣きそうになったし、変な汗かいてたし、もう完全に虜になっていた。 身じろぎひとつ出来ない状態でスクリーンに釘付け、喉はカラカラになっていた。
本作品の批判として、ストーリーに関しての言及があったりする。 映像が写実的でリアルであるからこそ、引っかかる人も多いのだろう。 でも、ぼくは映像には二種類あるのだと思う。起きている物事に対して、外から観測してゆくもの。ドタバタのイベントがある、エンターテイメント的作品に多い。もう一つ。登場人物たちの内面を描き、その気持ちに合わせて物語を盛り上げ展開してゆくもの。
前者については、リアリティを求め、物語の整合性を気を配る必要があるだろう。 だって、「起きている物事」が中心に据えられているのだから。 一方で、後者については、登場人物たちの気持ちの動きに合わせていれば、多少の非合理性とかって良いと思う。 だって、主軸に据えるのは主人公たちの気持ちの揺れる動きなんだから。
思春期拗らせちゃってる映画だって?その通り。でも、そのお陰で この映画が楽しめるんだからいいさ。 脚本厨としてのぼくからするとお勧めできないけど、だって新海誠なんだもん。
ぼくはこの作品、好きだよ。
なお、映画館はカップル多め。そんな中、ぼくらは負けじとおっさん仲間で集まり、きゃいきゃいと観ました。 観終わったあとのやりとりは、次のようなものでした。
おっさん5人で『君の名は。』を観て、「女子高生の身体と入れ替わったら何するー」って話題でキャッキャしてたのだけど、「入れ替わった女子高生が鏡みたら自殺しちゃうんじゃね?」という結論に落ち着いて悲しみが僕らを包んだ。
— すいちく (@suitiku) August 27, 2016