世界はきっとエクセルでうごいてる
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受け取るメールに添付ファイル。みるとエクセル。開くと画像。一枚ぺたり。ぼくはため息をついた。解凍ソフトで画像を取り出し、エクセルファイルを削除してメーラーを閉じる*1。
ぼくはエクセルがきらいだ。大学時代には、オフィス製品をほとんど使ったことがなかった。このことを言うと驚かれるのだけれども、たいていのことは何とかなるし、不便にも思わなかった。
エクセルのない生活
例えば簡単な計算。対話式モードでプログラム処理系を使えば良い。たとえば文章。LaTeXを使った。表の表現。HTMLやLaTeXを使った。PowerPointはあれば便利だが、HTMLやLaTeXでなんとかなる。正直に言うと途中からおしゃれブロガーのご多分にに漏れず、MacBookを買ったのでKeynoteでプレゼン、イラストレーターで図を作った。
これは極端な例だ。Unix暮らしが長いぼくには、こちらの方が性に合ってるだけだ。イラストレーターも安くない。この感性は一般的ではないことは分かっている。けれど、それでもぼくは声を大にして言いたい。
「それエクセルでやんの?*2」
エクセルのすばらしさ
エクセルは確かに素晴らしいソフトだ。図も描けるし、文字が打てる。セルを大きくしたり小さくしたり、色をつけたりもできる。だから、設計書、見積書だって書ける。なんと、表計算もできる。現代の魔法の紙。
ちがう、そうじゃない。
なぜすべてをエクセルにする? ドキュメントツールはドキュメントツール(Word)に任せるべきだ。図はVisio(これは使える人たちが限られるかも)、表計算はExcelが適任だ。使い分けをして欲しいだけなのだ。全てはエクセルで。社会人四年目になっても、別メールで送るパスワードと同じくらい理解できない。とくに、図とテキストから成るドキュメントが、エクセルでか書かれるのが我慢ならない。
エクセルドキュメントの悩み
「一つのファイルで全て済むから便利じゃん」
「wikiとかWordとかに画像化して張り込んだりリンク張ったりするのファイル増えるし大変じゃん」
そんな声が聞こえることがあるけど、よくわからない。表計算が伴うならば分からんでもないが、計算しないような図とか表とかはWordでも作れる。計算が発生するようなものでも、結果だけWordに貼りこめば良いとも思う。というか、表の部分のエクセルファイルを、Wordファイルに埋め込めば良い。
エクセルでドキュメントが書かれて悩むのが、差分管理だ。仕事で扱うファイルは日々成長する。読み手がいるからドキュメントが残される。どこが変わったか知らせる必要がある。
プログラムならば、バージョン管理ツールが用いられる*3。 ではドキュメントでは?オフィスツールの機能でまかなうしかない。すると、Wordの差分確認ツールくらいになるのではないか*4。Wordの差分確認ツールは、2つのファイルの差分を、色分けして表示してくれる。
エクセルドキュメントでよく見かけるのが、改定履歴シートだ。しかし、人手で全ての変更点を漏れなく示すことができるっていうのかい?蛍光ペン持って目視確認?そんな非人道的な仕事のために、ぼくらの大切なアフターファイブを奪われてはならない。単純作業は機械にやらせるべきなのだ。
業務システムとしてのエクセル
ドキュメントツール代わりのエクセルだけでなく、業務システムとしてのエクセルもよく聞く。マクロを駆使した神懸かり的エクセル、どうしてこれで結果が取れるのかわからない魔術的エクセル。その作者は退職済みなのが定番だ。
エクセルでなんとかなった。それは現場力だなんて持ち上げることではなく、所詮その場しのぎだ。いつ根本解決できる(する)のか?を検討しておかないと、巨大になりすぎた神エクセルはいつか崩壊し、その庇護下にあった業務も亡び去る。
万行を超えるマクロが書かれたエクセルが、現場の人がいなくなって機能追加できなくなっただの、秘伝の神エクセルをシステムに置き換えたら一千万近く掛かっただの、様々な噂を聞く。それは、噂のままでいて欲しいと願う。
さいごに
このエントリは、集計処理をプログラム(シェルスクリプトとRuby)を書いて行っていたら、表計算ツールとしてエクセルを使いこなすエクセラ—が通りかかり、要件を聞いて「30分でやってあげるよ」と、見事なショートカットさばきで目的を達してくれたことを悔しく思って帰りの電車で勢いに任せて執筆したエントリである。
エクセルを毛嫌いしすぎても、逆に工数が掛かってアフターファイブが消え去る事態に陥る。道具の特性をしり、状況に応じて使い分けをできる能力というのが、今後より重要になっていくのだろう。