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立て直せ、人生。

人生行き当たりばったりなアラサーが、無事にアラフィフになれるように頑張らないブログ

やる気と欲の消失について

じぶんのこと

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日々生きることについての悩みなのである。

かねてより、表題の件については頭を悩まされている。誰しも大なり小なりあることだろうとは察するが、ぼくの場合は少しだけ極端かもしれない。

たとえば、本を読み始めて一日中読んで4冊5冊積み上げる日々が数日続いたと思ったら、ぱったりと読まなくなり半年本を手にしなくなるとか。

中学生の頃は毎日朝晩寝る間を惜しんで読書をし、目を悪くした。かと思えば、忽然と読書欲が消え去り、高校三年生まで本を年数冊も読まなくなったりする。

趣味の風向きが変わるときには、気を病んでいることが多い。だから、読書ログやメール、twitterの自分の発言の傾向には気を払っている。

掃除にしてもそうだ。突然ムラムラと掃除したくなり、一点だけ完璧に掃除して、忽然とやる気が失せる。大抵めんどくさいところから着手するので、しばらくの間は荒れ放題の部屋と、清潔すぎるトイレや台所、風呂場のコントラストが映える。ひどい時には、こんな部屋にいられるか!と段ボールを近くのホームセンターに買い付けにいって、荷造りし始めることもある。今、部屋の隅には荷造りした段ボールが2箱、積み重ねられている。

車についてもそうだった。買った年は、大学生とはいえ、年4万キロ近くも走った。いまは、1.5万キロ前後。それでも多いとは言われるけれど、取り憑かれたように寝る間を惜しんで延々と乗り続けることはなくなった。趣味の小説執筆についてもそうだ。1ヶ月ほど、毎晩深夜三時まで執筆し、寝不足状態で出社していた時期がある。そののち、ぱったりと書くのが途絶えた。

ふしぎと、仕事のときはそうでもない。だから就職してから、プライベートのときのムラというものが余計引っかかるようになった。もしかしたら、誰かから依頼されている内容については、強迫観念的に「やらねば」と思っているのかもしれない。

この辺りの気分のムラというのは、物心ついたときからだ。やらなければならぬことというのは認識しているけど、倦怠感なのか、何なのか、全くやる気が出ずに放置する。かと思えば、ときおり、過去の自分の狂気じみたやり込みや作り込みを見かけ、引くことがある。

いわゆる発達障害なのかしらん?と医師に相談したこともあるけれども、とくに診断はなされず、まぁ個人の特性の範囲内なのだろうと考えている。ただ、世の中の人たちはどのようにこのあたりの自分の気分のムラと向き合っているのか少々興味がある。

「人の気持ちになりなさい」って子供のころに良く言われたことば。けれど、自分自身のことだって、ほとんど知らないのになあって思う一人暮らしの夜なのだ。