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アニメ映画「ペンギン・ハイウェイ」のススメ(途中からネタバレありレビュー・考察)

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かつてのぼくらの夏は、ほとんど永遠だった。 そのころ、世界は不思議で満ちていた。ぼくらは、少しずつその世界を齧って咀嚼し、理解を深めていったように思う。

「ねぇ、かつての少年。いま、きみは世界をどれだけ知って、どれだけ偉くなったんだい?」

ペンギン・ハイウェイをみた。これは、大変に良い映画だ。この映画は、お子さんにも観て頂きたい映画だし、「子供の頃」があった人にも観てもらいたい。 つまるところ、すべての全人類にみて頂きたい映画である。 平成最後の夏、子供の頃を思い出しながらみるのにうってつけだ。きっと、来年の今頃も、この映画を観たくなること請け合いである。

本エントリでは、途中までは非ネタバレレビューを、途中から視聴を前提とした感想と考察を述べる。けれど、少しでもこの映画に興味を持ってこのエントリを覗いてくれている人に言おう。

「全ての情報をシャットアウトして、映画館に行って欲しい」

何も知らないところから、手探りで研究を進める少年アオヤマ君。そんな彼の気持ちに少しでも近づけるよう、なるべく事前の情報を入れずに観て欲しい、そんな映画であるからだ。 鮮やかでファンタジックなこの作品は、今年の夏、大きなスクリーンで観るべき映画として強く推したい。

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あらすじ

小学四年生のアオヤマ君は、毎日世界について学んでいる。ノートを取り、まとめる。毎日昨日の自分よりえらくなって、だから、きっと将来はえらい人間になるだろう、そう考えている。

そんな彼の興味の一つに、「お姉さん」がある。歯科医院に勤めている胸の大きなお姉さん。お姉さんはどこかミステリアスで、アオヤマ君は、どうしてかおっぱいに気が引かれてしまう。お母さんのとは何がちがうのだろうか?

そんな生活を送る中、夏休みを翌月に控えた日に、突如としてペンギンが現れて、そして忽然と消えてしまう。ペンギンは、どこからきてどこへゆく?アオヤマ君、そして友達のウチダ君はペンギンの通り道「ペンギン・ハイウェイ」をテーマに据え、調査を開始する。

そんな日々の中、お姉さんは不思議な力をアオヤマ君に見せてみて、笑顔で言う。

「私というのも謎でしょう」「この謎を解いてごらん。どうだ。君にはできるか」

ペンギン、お姉さん、未知の生き物、そして不可解な物体……。 次々と起こる、不思議な出来事。アオヤマ君と同じクラスメイトで、研究熱心な女の子ハマモトさんも迎え調査を進める。少年、少女の研究員たちは、果たしてこの夏の不思議を、解決することができるのだろうか?

感想

この作品は、非常に鮮やかに彩られて、映像を観ているだけで心地良い。

原作は、賢いが小学四年生の主人公の主観で書かれているためか、どこかフワフワとした印象を受ける。読んだ当時は「是非映像化して観てみたいものだが、どうやったら映像化できるものなのだろう」と感じたことを覚えているが、完璧に原作を映像に落とし込んでいることに、驚かされた。

あらすじにも書いたが、本作品は非常にファンタジックではある。しかし、単にファンタジー世界を描いただけの作品ではなく、その不思議な事態に立ち向かう、少年少女たちの物語だ。

子供の頃の世界

子供の頃、世界は不思議で満ちていたし、何もかもが驚きと発見の連続だった。 そんな時代を生きるアオヤマ君たちの前には、「えらい大人からみても」不思議な出来事が次々と発生する。 街中にペンギンが現れる、お姉さんが投げたジュースがペンギンに化けてしまう、お母さんと同じはずのお姉さんのおっぱいが、どうしてか気になってしまうこと、宙に浮く「海」。 普通の大人なら、「そんなこと起こるはずがない」と一笑に付してしまうような出来事だ。

アオヤマ君は、モノを知り、世界を咀嚼してえらくなり続けているが、それでも知らないことが多い。 だからこそ、相対性理論や歴史などといった「解明されている」不思議と同じく、「未だ解明されていない」ファンタジックな謎を、平等に扱い、研究をする。

そう、勉強ではなく、研究なのだ。答えがあって、それを追従するのではない。未知のものを解き明かしてゆくのだ。彼らは、作中でも言及がされるとおり、本当に立派な研究者なのである。

そんな彼らを眺めていると、どうしてか、胸が締め付けられてしまった。かつて、ぼくにとっても世界には不思議が溢れていた。図書館に行き、難しそうな本を借りて、世界を知ろうと眺めた。 理解したり、あるいは出来なかったり。そんなことを繰り返して、ぼくもちょっとずつ「えらく」「賢く」なり続けている感触を得ていた時期があったはずなのだ。

翻って、いまはどうだろうか。世界には、知らない物事が未だ沢山取り囲んでいる。しかし、今のぼくらはそれらの不思議に気づくことが出来なくなっている。 たぶん、物事に対しての折り合いを付けるのがうまくなってしまったのだろう。それはきっと、悲しいことなのだ。

不思議なことに気づくことができる能力。それはきっと子供の頃には充分に備わっていて、大人になるにつれ、いつしか喪ってしまっているのだ。その能力を大人になっても喪わない人たちが、きっと「大人の研究者」なのだろう。

だから、ぼくはこの作品のストーリーが動き出す前から、胸が締め付けられるようで、スクリーンがまぶしく、思わず目を逸らしたいような気分になってしまったのだ。

でも、この作品の凄いところは、そんな気分になってしまったぼくも、観終えたときにはまっすぐ僕の、僕だけの未知……ぼくの「ペンギン・ハイウェイ」を見つけたい、そう思わせてくれたことである。

映像やスタッフについて

映像は、とにかく柔らかくて綺麗。ファンタジックな世界感にマッチした、丁寧な映像作りだ。

監督の石田祐康氏は、自主制作アニメ「フミコの告白」でネットで話題となった方であるが、気持ちよい動きに更に磨きが掛かっている。

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まるでロケットみたいにペンギンが飛び交う「ペンギンの板野サーカス」でクスリと笑ってしまったし、サラバドール・ダリの絵画のような世界の中を気持ちよく飛び交うシーンがあったり。 「アニメーションだからこその映像」というのが、十二分に生かされている。

ジュブナイル的なお話をシュルレアリスム的な表現で包み、成立させる……観てしまえばなるほど、と思ってしまうが、これを現実世界と地続きのように描くこの手腕、ただならぬものを感じる。

今回、声優陣も、その配役が実に作品にマッチしている。 もっとも驚かされたのがお姉さん演じる蒼井優氏。作品のイメージを下支えする、「お姉さん」のちょっとハスキーなボイスを演じきるその演技力に、純粋に驚かされた。 ぼくの中では、ハチミツとクローバーのハグちゃんの少女らしい声のイメージしかなかったのだが、それが完全にひっくり返ってしまった……というか、エンディングロールを観るまで、「もの凄い声優がいるものなのだなあ」と思っていたのである。

ほかの役者の人たちの仕事も素晴らしい。早熟の少年、というなかなかないキャラクターを、ごくごく自然に演じる、声優初挑戦の北香那氏。 アオヤマ君のお父さんを演じる西島秀俊氏の落ち着いた声はこれ以外にないだろう。

子供の頃の、思い出深い「あの夏」というのは、奇跡の結晶みたいなものなのだけれども、この作品も、このような美しいバランスで成立していることは、いっときの奇跡のようなものなのだろう。 その奇跡を、劇場で目撃できたことに、ぼくは感謝したい。

以下はネタバレ、作品を観た方向けの内容になります

解説/考察

これは、大人になってしまったぼくらにとっても……オトナになってしまったぼくらだからこそ、刺さる映画なのだと思う。

先にも書いたとおり、ぼくらの周りは謎に満ちている。この記事を読んでいる端末だって、GPSに使われている相対性理論だって、誰かが解明し理解しているけれど、ぼくにとっては謎である。 けれど、今の大人になってしまったぼくらは、誰かが解明し誰かが理解していると、自分も理解しているような錯覚に陥ってしまう。

その点、アオヤマ君たちは立派なのである。謎に立ち向かい、それを解明しようと突き進む。 きっと、ぼくらだったら「専門家じゃなきゃわからないよ」「専門家が知らなきゃ、それはでたらめだよ」とそっぽを向いてしまうような物事に対し、真摯に対峙する。

アオヤマ君は、最後、お姉さんとペンギン、そして宙に浮く「海」の玉の関係性を見出す。 それは、大人の専門の研究者でも見つけられなかったもので、それが、研究者たちの命を、世界を救うことになる。

この作品が、SFなのか、ファンタジーなのか、どちらなのか?と問われる部分は、この辺りにある。なぜならば、この作品の中で起きている事象の根本原因は、解明されないからだ。モノがペンギンになる。ペンギンは世界を飲み込まんとする「海」を壊して世界を守ろうとしている。お姉さんはそのペンギンを従えている。お姉さんは人間以外の存在である。……それ以上のことは何も分からないからだ。

どうしてお姉さんはこの世界にいたのだろう?
人間じゃなければなんだったんだろう?
お姉さんの子供のころの記憶は、一体何だったんだろう?

SFなのか、ファンタジーなのか?これは相反するものではない。有名なクラークの三法則から引用すると、「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。」である。 事実として、本作の原作小説は、2010年に「第31回日本SF大賞受賞」を受賞している。

では、どの辺りがSFなのだろうか。 それは、不思議な事象たちの一片でも、その謎を解き明かした点であろう。そして、一番重要なのが、その 過程 だ。 謎に対峙し、仮説を立て、計測し、考察し、そして結びつける。それは立派な研究である。すべてそれぞれがバラバラの事象として扱われていた出来事。 全く別々のようであったそれぞれの物事……お姉さんとペンギン、宙に浮く「海」、そしてジャバウォックが、全て結びついて行く。

「そのような不思議な世界なのだ」と、解明されずに終わった謎がある点について、この作品はファンタジーだろう。

一方で、「その世界の中では、このように事象が結びついているのである」と、その謎の一端を解きほぐしてゆく物語。その観点で言えば、まさにSFなのだろう。

いま、ぼくらの生きる世界だって、かつては何も解明されていないファンタジーの世界であったはずだ。 アオヤマ君たちの世界だって、今は未だ解き明かされていない謎がある。だから、その部分は「ファンタジー」の世界だ。きっと大人になって「えらくなった」アオヤマ君は、きっとその謎を明かすだろう。 だって、そうでなければ、お姉さんには会えないから。

そして、お姉さんに伝えるだろう。どれだけお姉さんが好きだったかということを。どれだけ、もう一度会いたかったのかということを。

最後に

本作は、物語として大変切ないものだ。お姉さんは言う。

「泣くな、少年」。

たとえ、理不尽な事実を目の当たりにしてしまったとしても、それを乗り越えてゆかねばならない。それを、小学生が目の当たりにするのは、残酷とも思える。 ——小学生だから残酷、というのは不適切だ。それは、誰にとっても残酷なものである。

「それが君の答えか、少年?」

世界には解決しないほうがいい問題もある。全ての者に、利するようなことなんてないからだ。「解決しない方が本人にとって幸せ」だったりする。 けれど、解決しないわけにはいかなかったのが、今回のアオヤマ君だ。

大好きなお姉さんは消えてしまう。けれど、お姉さんを取れば、ハマモトさんのお父さんたちは戻ってこなかったし、それどころか、街は、世界は終わってしまっていただろう。

まさに理不尽そのものである。

しかし、彼はその理不尽を乗り越え、世界を救う選択をした。お姉さんは世界から消えて、アオヤマ君は世界に残った。

そして、アオヤマくんは決意する。自分の人生の道、「ペンギン・ハイウェイ」を突き進むことに。それはきっと、容易ではないだろう。 彼の進もうとするペンギン・ハイウェイは、お姉さんという目的地こそあれ、未だ誰も至っていないからだ。

彼がペンギンで、彼が通った後に道ができる。彼の目の前には、道のない世界が拡がっているのだ。

それでも、きっと彼は自分のペンギンハイウェイを見出すだろう。彼は、既に世の中の理不尽を目の当たりにして、それを一度乗り越えている。

アオヤマ君は、最後に言った。「ぼくは泣かないことにしているんだ」。

僕も、泣かないことにしている。けれど、時には泣きたくなるものだ。少しくらい、泣いたっていい。みんなも、この映画を観て、ちょっぴりだけ、泣いてみるのがよい。

関連情報

本作品の「ペンギン・ハイウェイ」は、森見登美彦氏の手による小説作品である。

本映画作品は、原作をかなり忠実に映像化している。 しかし、映像は第三者視点で描かれており、小説作品はアオヤマ君の視点で描かれている点が大きく異なる。

映画を観て「ペンギン・ハイウェイ」を気に入った人には、是非原作も読んでみて貰いたい。 長編の作品ではあるのだが、するすると読めてしまう。

そしてなにより、お父さんとのやりとりやアオヤマ君の考えが、より細かく描かれているのが良い。

そしてもう一つ。実は、この作品は前日譚の短篇がある。

公式読本にも掲載されているとのことであるが、いかんせんそこそこ値が張る。 そこで、お勧めしたいのが、角川編集部の「夏」をテーマにしたアンソロジー、「ひとなつの」である。

「あの頃の夏」をテーマにした、大変できのよい、ノスタルジックな短篇が五篇収められている。是非、この夏にご一読頂きたい。

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