あの頃、ぼくらの夏休みは永遠だった。
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夏が終わる、という言葉が、昔ほどその重みを喪ったのはいつ頃だろうか。
かつてのぼくらの夏は、ほとんど永遠だった。梅雨が明け気温が上がり、お天道さまが威力を誇らしげに示すようになる頃、ぼくたちは蒸されるような体育館に集まる。怪我をしないように、健康に気をつけるように、体の悪いところを治すように。校長先生の長くつまらない話を終え、教室に戻ると、いよいよだ。通信簿、夏休みの宿題、そして図画工作の作品……そういったものが配られ、ランドセルに、手提げ袋に、めいめい詰め込めるだけ詰め込んで、学校を飛び出す。そうして、夏休みがやってくる。
1ヶ月と少し。それは小学生だったぼくらにとって、無限遠にも近く感じられる時間の塊だ。夏休みの中頃の家族旅行は、遠い遠い未来のように感じた。夏休みの明けの宿題提出なんていうのは、ノストラダムスの大予言のように不確かな未来の話で、「そのうちその日、ってのがくるんだろうな」くらいにうすぼんやりと捉えていた。
だからぼくらは宿題を放り投げ、外に繰り出した。タモを掴み、自転車に乗り込み、公園や山を駆け巡った。変わった虫や植物を見つけては喜び、虫かごに放り込んだ。気づくと時間は飛び去っている。あたりは闇に飲まれつつあり、自転車のライトだけを頼りに家に戻った。泥だらけ草まみれの格好をみて母は目を剥き、祖母は虫かごを見て声をあげた。「あかんてぇこれ、かぶれるやつやで」。ぼくの腕を見ると、赤くぶつぶつが浮かんでいて、母はぼくの頭を軽く叩いて薬を取りに行く。
毎日が、楽しさと面白さが詰め込まれたおもちゃ箱のようだった。単なる山も川も、造形中の住宅地も、どこかに面白おかしさが潜んでいた。ぼくらは毎日、それらを探して見つけてやるだけだった。たまに母につかまり、机に向かわせられることだけを除けば、退屈とか鬱屈からは無縁だった。ぼくらは、遠く、不確かな未来よりも、確かな今をみつめていた。
ただ、そんな白昼夢のような夏休みの思い出も、小学校の6年が最後だった。夢から醒めたのは、8月初め、いつもの奴らと裏山に駆け上ったときのことだ。 裏山には遊歩道があり、山道散策を楽しめる散歩コースになっていた。しかし、ひとたびコースのロープをこえて進んでいくと、何キロも続く山の中に入り込んでゆく。人気のない山の中は、切り離された異世界のようで不気味で、愉快だった。
毎年ぼくらは、その山を遊び場にしていた。その年もいつものように山の中を探索し、発見の日々であった。毎年少しずつ身体が大きく悪知恵がつくぼくらは、マウンテンバイクを持ち込んで山の斜面をくだるなど、新しい遊びを発見していった。違和感を感じたのは、そのなかのことであった。
毎年変わり映えのしない山の中に、その年は大きな変化があった。散歩コースの向こう側にしばらく向かった先に、真新しいロープが張られていた。いつも薄暗かったその場所が、周りの薄暗さと対照的に、明るくみえた。「何か面白いことが起きているのかもしれない」。ぼくらは頷きあって、駆け寄った。一足遅れてロープに駆け寄り、勢いづいて前のめりになったぼくの首根っこを、友人のクリが引っ掴んで引き倒した。
「何するんだ」言葉が飛び出す前に、ぼくの目は景色を捉えた。そこには、光り輝くUFOが落ちているわけでもなく、自然発光する竹が生えているわけでもなかった。ただ、そこにあったはずの山が、木々が、消え去っていた。深くおおきく削られた山々は、広大な平地になり、ロープの向こうすぐ先には、足元の地面がなくなっていた。遠くには幾台もの黄色い重機が、けだるげにその鎌首をもたげ静止していた。
「そういえば、アウトレットができるんだっけ」クリが、独り言のようにつぶやいた。ぼくらは静かにその様子を眺め、少しして山を下り、めいめい自慢のウォーターガンを手に取り、水を掛け合って遊んだ。みな、普段と変わらない様子であったけれど、あの削られた山のことは何も言わなかった。そして、その夏の日以降、ぼくらはその山で遊ぶのをやめた。
その後、現実による夏休みの侵食は進んでいった。中学生に上がって以後の夏休みは、水鉄砲をかけ合うかわりに、クーラーの効いた部屋で数式を掛け合った。携帯を持ったために夜遅くなると親から連絡が来るようになったし、遊び場は森や空き地から、塾の周辺の街に移ろった。
そんな風にして、徐々に、けれど急速に「あの頃の夏休み」は喪われていったのだ。
2017年夏、東京、千代田区。ぼくはクーラーの効いた部屋でモニタとにらめっこしていた。一息つきふと顔を上げると、オフィスは静まり返っていた。時計を見上げると、時刻はてっぺんを回りかけていた。慌てて在籍表をみると、多くの人は夏休みで、数少ない出勤している人は、とうに帰路についていた。「そうか、お盆か」口をついてでた言葉は、誰もいないオフィスで大きく聞こえた。
終電近くの電車を待ち、facebookをみると、子供たちの共に映る写真がいくつも流れていった。事務的にイイねボタンを幾度か押して、ため息をついてアプリを落とした。きっとこの子らも、限りある「永遠の夏休み」を味わっているのだろうな、と考え、こみ上げてきた何かを飲み込んだ。
風が吹いた。列車がやってきた。普段より少ない人々をみて、ぼくの足は地面に縫い付けられてしまった。一本の帰宅の電車を見送り、反対側に向き直った。少ししてやってきた列車に乗り込み、ぼくはスマホの電源を落とした。
普段家に帰る列車とは逆方向の列車。ただそれだけで、何もかもが新鮮に映った。途中、電車を降りて、閉まりかけのキオスクでビールを買う。間をおかずきた次の列車に乗り込み、プルタブをあげた。
なるべく、なるべく遠くまで連れていってくれ。ぼくは願った。この東京の地から、ぼくを連れ去ってくれ。
そうしてついた先は、東京からは遠いとも言えない町だった。それでも、明日は会社には間に合わないだろう。ぼくはビジネスホテルに入り、ベッドに倒れこんだ。かすかな罪悪感と共に、懐かしい満足感がこみ上げてきた。それは、あの頃、後で怒られると知りながらも、山の斜面をかけ降りたときの気分と同じであった。瞼を閉じると、体育館で聞かされた校長先生の言葉が思い出されて、ぼくは眠りに沈んでいった。